第2期線開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 13:40 UTC 版)
第1期線に続く市内線第2期線予定線は以下の5区間からなっていた。 武蔵ヶ辻 - 金沢駅前間の白銀町停留場から金石電気鉄道起点のある長田町まで 浅野川大橋停留場(大橋南詰)から山ノ上町を経て下大樋町まで 金沢病院前停留場から先、上石引町地内を延伸 犀川大橋停留場(大橋北詰)から松金電車鉄道起点のある野町5丁目を経て有松町まで 野町で分岐して野田寺町1丁目まで 上記のうち長田町・下大樋町・有松町はそれぞれ当時の金沢市域の西端・北端・南端である。金沢電気軌道では資金調達の都合から、第2期線全線着工を見送って2つの郊外線との連絡線を先に建設する方針を固める。同時に郊外線の自社経営を目指して会社合併を目指したが、金石電気鉄道の合併は破談、一方で松金電車鉄道の合併は1919年12月に決定された。従って金石連絡線の着工は延期となった。第2期線全線着工見送りの会社方針について、金沢市会では反対する意見が出たものの、市の側も電車敷設に伴う市区改正費用を全線分捻出するのは困難であった。結局、市財政を踏まえて犀川以南では野町までの野町線(松金連絡線)と兵営の関係から野田寺町線を、浅野川以北では大樋線のうち山ノ上町までの区間を優先的に着工する方針が決定され、1920年度から市の市区改正事業が始まった。 第2期線はまず野町線が1920年(大正9年)11月20日に開業した。終点は松任に繋がる松金線の起点野町5丁目。野町線開業を機に松金線の車両は市内線との共用とされ、市内線香林坊停留場から松金線までの直通運転も始まった。運賃上の市内線・松金線分界点は当初松金線泉停留場とされた。その後1934年(昭和9年)に石川線野町駅前に野町駅前停留場が新設されるとともに駅前までの区間が複線化され、野町駅前までが市内線となった。 野町線に続く開業は野田寺町線で、翌1921年(大正9年)7月10日に野町広小路停留場から寺町停留場(開業時「野村兵営前」)までが開通する。次いで大樋線南部が建設され、1922年(大正11年)7月13日に浅野川大橋停留場から小坂神社前停留場までが開通、同年12月14日には浅野川大橋上が繋がって、橋場町 - 小坂神社前間が全線開通した。だがこの直前の同年8月3日、豪雨で線路を通していた犀川大橋が流出してしまう。電車専用の仮橋を架設して運行を続けたが、犀川大橋が復旧するのは2年後の1924年(大正13年)7月10日のことである。 金沢電気軌道による市内線建設は1922年をもって停止し、野町以南・大樋線北部・金石連絡線は建設されなかった。これらの区間、すなわち野町5丁目 - 有松町間、山ノ上町3丁目 - 下大樋町間、白銀町 - 長田町間は期限内に工事施工認可を申請しなかったとして1926年(大正15年)4月7日付で特許失効となっている。また同じく特許を得ていた上石引町地内の延伸についても1929年(昭和4年)12月7日に起業廃止が許可された。
※この「第2期線開業」の解説は、「北陸鉄道金沢市内線」の解説の一部です。
「第2期線開業」を含む「北陸鉄道金沢市内線」の記事については、「北陸鉄道金沢市内線」の概要を参照ください。
- 第2期線開業のページへのリンク