金石電気鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:58 UTC 版)
「武蔵中央電気鉄道1形電車」の記事における「金石電気鉄道」の解説
1形8が後の北陸鉄道金石線に相当する路線を敷設・運営した金石電気鉄道へ譲渡され、デ15形15の形式・記号番号が付与された。 金石電気鉄道は戦時統合により設立された北陸鉄道の発足に際して同社に吸収合併され、デ15は北陸鉄道へ継承されたのち、1949年(昭和24年)に実施された形式称号改訂にてモハ1100形1101(初代)の形式・記号番号が付与された。当初は金石線にて継続運用されたのち、1956年(昭和31年)に金沢市内線へ転属し、モハ2050形2051と形式・記号番号を改めた。 金沢市内線への転属に際しては、狭小な車両限界に対応するため妻面前頭部を側面客用扉付近より絞り込む形で狭幅化し、同時に3枚の前面窓のうち中央窓を拡幅して左右窓を縮小、また客用扉を従来の1枚引き扉から2枚引き扉構造に改造した。その他、主電動機を37.3 kWのものへ交換して出力向上を図り、集電装置についても小型の菱形パンタグラフへ換装されたが、これは後年他形式と同様にビューゲルへ再換装された。 金沢市内線は1967年(昭和42年)2月に全線廃止となり、モハ2051は同年9月にモハ2060形2両とともに福井鉄道へ再譲渡された。これは同社福武線の福井市内における併用軌道区間(福井新 - 福井駅前・田原町間)にて従来運用されたモハ60形を鉄道線区間へ転用するにあたり、同形式の代替となる併用軌道区間専用車両が必要となったため、譲渡に至ったものである。 福井鉄道においては、台車を従来装着したC-12からモハ60形より転用したC-9(車輪径860 mm、固定軸間距離1,500 mm)へ換装され、車輪の大径化により車体床面が上昇したことから各客用扉下部には1段折り畳み式の外付け乗降ステップが新設された。その他、集電装置をビューゲルから小型の菱形パンタグラフへ換装した。 導入に際しては形式・記号番号をモハ500形501と改め、併用軌道区間の区間運転に充当された。しかし、併用軌道が敷設された北国街道の交通量増加や輸送需要の低迷から区間運転は1969年(昭和44年)に廃止され、モハ501は同年9月7日付で除籍された。
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