第2回デルポイ大祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/16 04:06 UTC 版)
「エヴァ・パーマー・シケリアノス」の記事における「第2回デルポイ大祭」の解説
第1回大祭の肯定的な受け止め方は、ギリシア政府のその後の大祭への協力を確実なものにした。第1回の負債を完済することと第2回の支払いをすることのために、くじが始められることが決定された。大祭にたいする大衆的な支持は高かったし、政府はデルポイくじ法案を可決した。当時、ギリシアは、収益が国の考古学上の活動への資金提供とギリシア海軍との両者の間で分けられるひとつのくじを有していた。しかしながら、いざくじ券を印刷する時点になって、努力が妨げられた。見たところどうやら海軍大臣に停滞の責任があったらしく、くじ券に費やされる資金が海軍の支持よりもむしろ、大祭に行くのではないかとおそれていた。この後退に幻滅して、パーマーはアメリカにほぼ1年間、旅行した。パーマーはいろいろな学校や単科大学、総合大学で講義するように求められ、大祭やデルポイ理想に具体化された論題についていくつか論文を執筆した。パーマーは、アメリカ国内をあまねく旅行し、ニューイングランドに帰った。講義旅行はほどほどの金銭的見返りしか、もたらさなかったし、彼女は自身の旅行費用を大部分、負担した。彼女は、続いて残って、『縛られたプロメテウス』において彼女が監督したコロスをエール大学で教えるように求められた。しかしながらパーマーは、自分はこういうことを真正に持続的に教えることはできないと感じて、申し出を断った。 パーマーはヨーロッパに戻り、一時パリに滞在してから、納得して1929年秋にギリシアに戻り、第2デルポイ大祭の立案を始めた。デルポイくじと海軍省の問題が解決されたか否か、また大祭の支払いがどのようにされたか、仮に支払いがされたとして、くじ、貸付金によってか、それともパーマー自身の金銭によってかは、不明である。第1次大祭からなおも負っていた借金に関する彼女の心配は、第2次大祭の全費用を支払うだけの資金を彼女が有していたというありそうに無いことに、証拠を与える。が、それにもかかわらず彼女はギリシアに戻り、第2回デルポイ大祭の計画が始まった。彼女とシケリアノスは、呼び物の劇を『救いを求める女たち』に決定した。この劇は、コロスを、劇のかなめ、劇の敵役として呼び物にしたし、そういうものとしてパーマーは準備に完全に没頭した。50人のコロスが必要であったし、第一次大祭の初期の努力とはちがって、篤志家たちは大勢いてかつ熱心であった。ギリシア戦争省もまた、大祭のためにただちに人員と物資の支援を与えた。このことの皮肉は、パーマーには通じなかった。こういう組織は戦争業、デルポイの理想とはまさに正反対のことで頭がいっぱいであったが、パーマーは、兵以上に誰が戦争の恐怖を知っているかを論じた。 プサコスはふたたび劇のために曲を書いてくれるように求められ、第1回大祭の古い議論が再びされた。彼女は上演の細目を決定する自由裁量を以前よりも広く与えられたし、プサコスとパーマーは劇の音楽的要素について意見が合わなかった。ふたりは二度と口もきこうとしなかったし、プサコスは上演から身を引いた。運動競技と手工芸品の展示の両者とも、大祭の重要な部分であった。大祭は1930年に開催され、成功をおさめた。 デルポイの理想と平行して、デルポイ大学(Delphic University)という、主にシケリアノスによって推進される、理想があった。2回にわたる大祭の成功に続いて、こういう学校が企画されることが希望された。ギリシア政府はしかしながらこの理想に熱心でなかったし、どちらかといえば将来の大祭がギリシアの製品と観光をいかに推進するかにより強い関心を抱いていた。パーマーとシケリアノスにとって、大祭はただ目的に達する単なる一手段にすぎず、目的そのものではなかった。それ自体ギリシャ政府は、これらの大祭の推進にはほとんど役に立たなかった。政府の見解は、観光とギリシア製品の輸出は経済を活発にするであろうし、一方で、デルポイの理想の学問的な追求は、予測し得る将来において収益を集めたくわえないであろうというものであった。 パーマーはふたたび、デルポイの理想とギリシア悲劇・演劇の教訓にたいする関心をかき立てることを期待してアメリカに帰還することになる。パーマーの、シケリアノスとの結婚は1934年に無効にされることになるし、シケリアノスはのちにギリシアで再婚することになる。二人は手紙をやりとりし続け、良好な関係のままであった。
※この「第2回デルポイ大祭」の解説は、「エヴァ・パーマー・シケリアノス」の解説の一部です。
「第2回デルポイ大祭」を含む「エヴァ・パーマー・シケリアノス」の記事については、「エヴァ・パーマー・シケリアノス」の概要を参照ください。
- 第2回デルポイ大祭のページへのリンク