第1期フェラーリ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:43 UTC 版)
「ゲルハルト・ベルガー」の記事における「第1期フェラーリ時代」の解説
1987年 フェラーリに移籍、結果的にエンツォ・フェラーリの存命中にフェラーリに加入した最後のドライバーとなった。フェラーリ・F187は速さこそあったがシーズン中盤までは信頼性が低くマシントラブルが多かった。チームメイトのミケーレ・アルボレート共々多数のリタイヤを喫したが(計9回、全てマシントラブルによるものだった)、チャンピオン争いも経験しているアルボレートに伍して戦い、次第にフェラーリの新エースとして評価を高めていった。 第12戦ポルトガルGPで初PP(決勝は2位)。第15戦日本GPでは自身初のポールトゥーウィンを達成、低迷期を過ごしていたフェラーリチームに2年ぶりのF1勝利をもたらす。さらに続く最終戦オーストラリアGPもポールトゥーウィンで完勝し2連勝と最高の形でシーズンを終え、ドライバーズ・ランキングを前年より更に向上させ5位で終える。 1988年 フェラーリでの2年目、この年はマクラーレン・ホンダが圧倒的な強さを見せたシーズンとなったが、そんな中でも多くのGPにて、予選でマクラーレン勢の真後ろである3位グリッドをキープしており、また前年よりマシンの信頼性が大幅に向上したため、コンスタントに入賞した。第8戦イギリスGPでは、この年マクラーレン勢以外で唯一となるPPを獲得している。加えて、予選でアルボレートに全勝し、決勝でも先行を許してゴールしたのは第7戦フランスGPのみと完全にフェラーリのエースとなった。 エンツォ・フェラーリが死去して間もない第12戦イタリアGPでは、トップを快走していたアイルトン・セナが、残り2周で周回遅れのジャン=ルイ・シュレッサー(このGPだけ病欠したナイジェル・マンセルの代役参戦)と接触しストップ。2位にいたベルガーが、フェラーリの地元GPにて最後の最後で繰り上がるかたちで「弔い合戦」を制した。2位にチームメイトのアルボレートが入り、イタリアでフェラーリの1-2フィニッシュとなったこと、同年マクラーレン・ホンダ以外が記録した唯一の勝利となったことなども重なり、「記憶に残る勝利」として後々まで挙げられる要因となった。 優勝以外でも4度の表彰台を記録するなど、ランキングではマクラーレンの二人に次ぐ自身最高の3位に入った。 1989年 フェラーリでの3年目、ティレルに移籍したアルボレートに代わってウィリアムズからナイジェル・マンセルが加入。第2戦サンマリノGP決勝では、フロントウイングのトラブルに見舞われ、高速コーナーのタンブレロでコースアウト、そのままウォールに激突した。レース序盤でガソリンが多量に残っていたため、大破したマシンが炎上したが、コースマーシャルの迅速な消火・救出作業により、ベルガー本人は顔や手の火傷のみで済み、1レースの欠場を挟み第4戦メキシコGPには復帰した。この炎上事故が発生したことで、後に燃料タンクの搭載位置に関するレギュレーションが変更されることになった。 参戦した15戦中12回のリタイヤだったが、完走した3戦ではすべて2位以上であり、第13戦ポルトガルGPでは自身F1での5勝目をマーク。ランキングでは7位に踏み留まったが、チーム内の体制が2勝を挙げたマンセルに傾いたこと、7月にアラン・プロストがマクラーレンを離れることを発表するとロン・デニスが早々にベルガーにオフォーを出したことにより、翌年からのマクラーレン・ホンダへの移籍が決定した。
※この「第1期フェラーリ時代」の解説は、「ゲルハルト・ベルガー」の解説の一部です。
「第1期フェラーリ時代」を含む「ゲルハルト・ベルガー」の記事については、「ゲルハルト・ベルガー」の概要を参照ください。
第1期フェラーリ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 10:12 UTC 版)
「ホセ・フロイラン・ゴンザレス」の記事における「第1期フェラーリ時代」の解説
1951年シーズン中盤、ピエロ・タルッフィ負傷に伴い、代役として第4戦フランスグランプリにフェラーリから出場。このレースで2位に入り、初の表彰台を獲得した。この走りに対し、フェラーリは続く第5戦イギリスグランプリでもゴンザレスを起用することとなった。 与えられたマシンは前年型だったものの、ゴンザレスは迎えたイギリスグランプリの予選でポールポジションを獲得。決勝でも、ファン・マヌエル・ファンジオとの争いを制し、 ポールトゥーウィンで初優勝を飾った。この勝利は、フェラーリのF1初優勝としても記録されることとなる。 その後、残る3戦もフェラーリから出走。2勝目はならなかったものの、3レース全てで表彰台に上がり、ランキング3位となった。
※この「第1期フェラーリ時代」の解説は、「ホセ・フロイラン・ゴンザレス」の解説の一部です。
「第1期フェラーリ時代」を含む「ホセ・フロイラン・ゴンザレス」の記事については、「ホセ・フロイラン・ゴンザレス」の概要を参照ください。
- 第1期フェラーリ時代のページへのリンク