第1期ブルージーンズ結成とは? わかりやすく解説

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第1期ブルージーンズ結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 06:58 UTC 版)

寺内タケシ」の記事における「第1期ブルージーンズ結成」の解説

1962年結成当時ロカビリー色の強かったブルージーンズだが、1963年1月ステージ転落事故機にエレキバンド化を決意メンバー入れ替えたこの頃ロカビリー出身内田裕也や、ザ・スパイダースのセカンドギターだった加瀬邦彦加入1965年日本公演中のベンチャーズ共演した寺内タケシは、容易にチョーキング繰り出すノーキー・エドワーズ不思議に思いリハーサル時に中座した隙を狙って彼のモズライト弾いてみたところ、弦が細いことに驚愕しこんなに弦が細けれグリス当時チョーキングをこう呼んでいた)が楽に出来る訳だ」「指立て伏せしたりして必死になって握力鍛えていた俺は何だったんだ」と語っている。ちなみに、この細い弦は、ノーキー・エドワーズ発案したとされるライトゲージ弦「スリンキーアーニー・ボール社へ制作依頼)」である。1966年日本公演中のベンチャーズのドン・ウイルソンが、息子落馬死亡事故帰国したため、寺内代役リズム・ギター務めたヤマハから寺内オリジナルモデルSG7(通称ブルージーンズ・カスタム)が発売された。ただし最初寺内許可無くブルージーンズの名を冠していない。この頃から「津軽じょんから節」に代表される民謡にも取り組みエレキギター民謡演奏するエレキ民謡」に取り組んだ植木等の「遺憾に存じます」のバックバンド務め1965年NHK紅白歌合戦出場しているほか、加山雄三主演映画海の若大将』、『エレキの若大将』(東宝映画)にも出演1966年結核性リンパ腺炎で入院したが、後に誤診判明し実際過労であったという。

※この「第1期ブルージーンズ結成」の解説は、「寺内タケシ」の解説の一部です。
「第1期ブルージーンズ結成」を含む「寺内タケシ」の記事については、「寺内タケシ」の概要を参照ください。

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