第1期ブラバム時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:32 UTC 版)
「リカルド・パトレーゼ」の記事における「第1期ブラバム時代」の解説
1982年 バーニー・エクレストンの支援を受けブラバムに移籍したパトレーゼは、前1981年のチャンピオンであるネルソン・ピケとパートナーを組むことになる。本来のマシンはブラバム・BT50だったが、BMWターボエンジンの信頼性が悪くトラブルが多かった為、セカンドドライバーのパトレーゼは、シーズン前半は主に前年の改良型・コスワースDFVエンジンのBT49Dで参戦した。サバイバルレースとなった第6戦モナコグランプリではデビュー6年目で初優勝を達成。これを含め計3度表彰台にのぼっているが、全てBT49Dで参戦した際の成績である。 第9戦オランダグランプリ以降は、パトレーゼも本格的にBT50で参戦したが、予選順位は上昇したものの多くのトラブルに見舞われ、結果はあまり残せなかった。第13戦オーストリアグランプリでは、序盤からトップ走行を走行するも、エンジントラブルにより噴出した自車のオイルに乗って激しくコースアウトし、リタイヤとなった。結局BT50での入賞は、第14戦スイスグランプリでの5位のみとなった。ランキングはピケを上回る10位となった。 1983年 翌1983年は第4戦サンマリノグランプリにおいて、最終ラップまでトップを守るも、優勝直前でクラッシュし13位に終わった。絶好調のピケに対してパトレーゼは以後も不調が続き、第10戦ドイツグランプリで3位表彰台を獲得するまで、ノーポイントであった。その後第13戦イタリアグランプリで自身2度目のPPを獲得するが、決勝は電気系トラブルで早々とリタイアしている。 しかし最終戦の南アフリカグランプリにおいては、ピケが軽い燃料でスタートし序盤から飛ばす一方で、燃料を多く積むパトレーゼは2位を死守。重いマシンで他ドライバーを抑え込み、逆転チャンピオンのかかるピケを援護した。その後、ピケとチャンピオンを争っていたアラン・プロスト、ルネ・アルヌーが共にリタイヤ、パトレーゼは安全策を取るピケに譲られる形で、自身2勝目を記録したが、この年はBMWターボが信頼性を確立し昨年度と立場が逆転し、ピケの59ポイントに対しパトレーゼは13ポイントに終わった。
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