第1期エリツィン政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 15:00 UTC 版)
1992年11月17日のロシア大統領令(en)1403号により垂直統合された「オリガルヒ」と呼ばれる新興財閥(ルクオイル、ユコス、スルグト(英語版)、TNK-BP、シブネフチなど)が形成された。1993年エリツィンは、アレクサンドル・ルツコイ副大統領、ルスラン・ハズブラートフ最高会議議長ら反対派との対立を先鋭化させていった。エリツィンは、議会との妥協を断念し、話し合いではなくベールイ・ドーム(最高会議ビル、ホワイトハウス)を武力で攻撃し、反対派を沈黙させるに至った(モスクワ騒乱事件)。この事件をきっかけに、エリツィン政権は、軍や内務省などの武力省庁への依存を次第に強める結果となり、「シロヴィキ」の用語が生まれるようになっていった。
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