第四次イーラム戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 00:00 UTC 版)
「サラット・フォンセカ」の記事における「第四次イーラム戦争」の解説
治療を終えたフォンセカは同年7月から軍務に復帰した。彼は30年に及ぶ内戦を終結させた戦略の立案者と評されている。 彼は従来の方針を変更してLTTEの巧妙な戦術・戦略に合わせた戦い方を考案し、圧倒的な数的優位を利用してLTTEに圧力をかけ続けた。また、陸上戦を支援するために海軍・空軍を全面的に展開することを主張し、他の軍司令官の支持を得ることに成功した。 フォンセカは陸軍部隊を小さな集団に分け、高度な訓練を受けた士気の高い兵士を育成し、LTTE支配地域へ送り込んで幹部を暗殺させた。また彼は陸軍を防衛重視からから攻撃重視の軍隊へと変貌させた。経験豊富な指揮官は、積極的な軍事指導とともに歩兵の訓練・気風の変更、北方の防備など、戦闘前の準備で軍事戦略を変えていったのである。また積極的に前線の兵士を激励し、軍内にあった保守的な姿勢を転換した。また2007年には機械化歩兵連隊(英語版)を創設も行なっている。 彼はLTTEの攻撃への対応に追われていた陸軍を変革し、3年で戦争を終結させる計画を立案した。その主眼は領土の回復だけでなく敵軍の掃討に当てられていた。彼は主要幹線道路沿いで行われていた作戦を削減すると同時に戦線を拡大し、敵戦力の分散を図った。そして4人編成の小隊を大量に投入し、自軍兵力と民間人の犠牲を少なくしつつ隠密作戦と多方面作戦を展開した。また東部戦線の終結前に北部の攻略を開始することで、停戦交渉が行えないようにした。 また孫子の兵法に則って敵軍の戦力が集中した場所は避け、また軍内の年功序列も廃して現場経験の多い指揮官を登用した。またLTTEの艦船・指揮官の排除に海軍・空軍が必要であることを証明した陸軍情報部も再構築した。また軍内部の評価制度も一新して汚職や賄賂の排除に取り組んだ。また銃などの装備品の在庫管理制度も改革し、軍事予算の効率化にも取り組んだ。これらの業績が評価され、2009年1月にはインドの国家安全保障補佐官(英語版)が選ぶ最優秀軍事指揮官に選ばれた。
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