第四次ハリコフ攻防戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 09:07 UTC 版)
「ハリコフ攻防戦」の記事における「第四次ハリコフ攻防戦」の解説
詳細は「ルミャンツェフ作戦」を参照 1943年7月のドイツ軍ツィタデレ作戦は、連合軍のシチリア上陸と、ソ連軍のオリョール湾曲部への攻勢により、7月12日には中止となり、南部でも7月末までに、攻勢開始点まで押し戻されてしまった。8月には、アゾフ海沿岸までの南部全戦線で、ソ連軍の攻勢が始まった。8月6日にはベルゴロドが陥落し、ハリコフも次第に包囲されつつあったので、マンシュタインもハリコフからの撤退に同意していたが、ヒトラーは、8月12日には、”いかなる状況でも、ハリコフを保持せよ"、との命令を出した。状況は絶望的になりつつあったが、8月21日に、マンシュタインは、ヒトラーの同意を取らずに、第8軍司令官ブェーラーに同意して撤退命令を出し、ドイツ軍は撤収を始めた。8月23日には、街は、最終的にソ連軍の手に戻った。
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