第四次マイソール戦争における勝利と領土の拡大
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「ニザーム・アリー・ハーン」の記事における「第四次マイソール戦争における勝利と領土の拡大」の解説
1799年2月、イギリスはマイソール王国がフランスが同盟しようとしたとして、マイソール王国に侵攻し、ニザーム藩王国も軍勢を出して加勢した(第四次マイソール戦争)。 同年4月にイギリスとニザーム藩王国の軍勢はマイソール王国の首都シュリーランガパトナを包囲して、5月にその攻防戦でティプー・スルターンを殺害し、長く続いたマイソール戦争は終結した。 その後、マイソール王国が降伏して結ばれた条約では、マイソール王国はイギリスとニザーム藩王国、マラーター王国にさらに領土の約半分を割譲し、そのうちの北部がニザーム藩王国に割譲された。 1800年10月12日、ニザーム王国はイギリス軍への駐留費免除を引き替えに、1792年及び1799年にマイソール戦争で獲得したカダパ、カルヌール、ベッラーリー、アナンタプルといった割譲地をイギリスに再割譲させられた(この領土は「割譲諸県」と呼ばれている)。また、この条約ではイギリスの歩兵大隊8個と騎兵連隊2個を藩王国の領土に駐屯させることも同意させられた。
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