第四次中東戦争と対イスラエル和平
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「アンワル・アッ=サーダート」の記事における「第四次中東戦争と対イスラエル和平」の解説
大統領就任当初、サダトはナセルが敷いた汎アラブ対イスラエル強硬路線を継承し、シリアやリビアとともにアラブ共和国連邦を結成した。1973年10月6日、シリアと共同でイスラエルに開戦して第四次中東戦争を主導し、イスラエル軍に大打撃を与えた。これによってサダトは国民的英雄となった。 だが、この戦争前にはソビエト連邦の軍事顧問団を追放しており、1974年2月にアメリカ合衆国との国交を正常化させて当時のリチャード・ニクソン政権から軍事的経済的援助を受け、1976年にはナセルの親ソ・反米の外交路線を完全に反ソ・親米に転換した。同年3月にソ連との友好協力条約を破棄し、翌4月に中ソ対立を起こしていた中国にホスニー・ムバラク副大統領を派遣して毛沢東と会見させて武器を購入した。同年9月にはサウジアラビアやモロッコ、イランなどとともに結成した反ソ同盟サファリ・クラブ(英語版)の本部をカイロに置き、第一次シャバ紛争(英語版)やオガデン戦争ではザイールとソマリアを支援してアフリカからのソ連の影響力排除を画策し、ソ連のアフガニスタン侵攻を批判してモスクワオリンピックをボイコットして反政府武装勢力のムジャヒディンへの支援を表明した。 1977年にイスラエルのメナヘム・ベギン首相の招きでエルサレムを訪問した。エジプト・イスラエル間の和平交渉を開始し、翌1978年にアメリカのジミー・カーター大統領の仲介のもと、キャンプ・デービッド合意にこぎつけた。そして1979年には両国間に平和条約が結ばれた。 この合意は、長年の仇敵だったイスラエルとの和解をもたらすものだけではなく、1967年の第三次中東戦争でイスラエルに奪われたシナイ半島の領土を平和裡に返還する伏線ともいうべきもので、エジプトが中東和平の先駆けとして周知されることにも繋がった。
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