第四次マイソール戦争の終結と領土拡大への野心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/18 10:27 UTC 版)
「第二次マラーター戦争」の記事における「第四次マイソール戦争の終結と領土拡大への野心」の解説
1799年5月、イギリスは第四次マイソール戦争において、マイソール王国の首都シュリーランガパトナを落とし、その君主ティプー・スルターンを殺害した。これにより、マイソール王国はイギリスの従属国、つまり藩王国の地位に落とされ、その植民地の一部となった。 次にイギリスが目を付けたのは、デカンおよび南北インドに広大な領土を持つマラーター同盟だった。マラーター同盟はムガル帝国の衰退後、インドでもっとも強大な政治勢力であった。1761年の第三次パーニーパットの戦いの敗戦後、マラーター同盟の結束は崩れたが、依然としてそれは変わりなかった。 とはいえ、マラーター同盟は宰相や諸侯間の間で内紛が多かったのも事実である。イギリスもその争いに目をつけており、第一次マラーター戦争で介入して数年の間争い、最終的には撤退を余儀なくされていた。マラーターはイギリスがインドを植民地化するうえで、打倒せねばならない勢力であった。
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