ドニエプル川西岸への後退戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 01:50 UTC 版)
「第3SS装甲師団」の記事における「ドニエプル川西岸への後退戦」の解説
クルスク戦後、師団は第2SS装甲師団とともに第6軍(スターリングラードで壊滅後に再編)に編入されて、ウクライナ南部のソ連軍のミウス川橋頭堡をめぐる戦闘に投入された。このミウス戦線における7月から8月の戦闘で、師団はクルスク戦の死傷者を上回る損害を被った。続いてダス・ライヒと伴に北部に戻り、ソ連軍の800両以上の戦車を破壊し、重大な人的被害を与えて攻勢を阻止したが、8月23日にハリコフを放棄している。(第四次ハリコフ攻防戦)9月前半には、同師団はドニエプル川まで後退したが、ソ連第5親衛装甲軍の部隊はクレメンチュグでドニエプルの突破を意図しており、トーテンコップ師団は橋頭堡への戦闘に投入される。その間、1943年10月にトーテンコップは正規の装甲連隊を持つ装甲師団に改編されている。数カ月におよぶクレメンチュグ橋頭堡をめぐる戦闘の後にソ連軍は突破に成功したため、11月には、同師団はドニエプル西岸の重要都市クリヴォイ・ログの防衛戦に従事した。年が変わり1944年1月においても、トーテンコップはクリヴォイ・ログ近郊で激しい防衛戦に従事しており、同師団とグロースドイッチュラント師団によりソ連軍の突破が回避されていた。
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