ドナー隊の構成家族と形成経緯とは? わかりやすく解説

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ドナー隊の構成家族と形成経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:21 UTC 版)

ドナー隊」の記事における「ドナー隊の構成家族と形成経緯」の解説

1846年春、ミズーリ州インディペンデンスから500近い幌馬車西部目指し出発したその後尾に ドナー家とリード家およびその使用人総勢32人が乗り込む9台の幌馬車からなる一団があり、5月12日出発したジョージ・ドナー英語版)はノースカロライナ州生まれで、ケンタッキー州インディアナ州そしてイリノイ州と、途中1年間テキサス州逗留しつつ次第に居を西へ移してきた。1846年初頭に彼は62歳であり、44歳の妻タムセンと3人の娘フランシス(6)、ジョージア(4)、エリサ(3)がいた。また前妻との娘エリザ14)とレアンナ(12)もいた。ジョージの弟であるジェイコブ56)も同行したが、彼には妻エリザベス45)、養子のソロモン・フック(14)とウィリアム・フック(12)、および5人の実子ジョージ(9)、メアリ(7)、アイザック(6)、ルイス(4)、サミュエル(1)がいた。ドナー兄弟にはまた御者も6人同行したハイラム・O・ミラー29)、サミュエル・シューメイカー(25)、ノア・ジェイムス(16)、チャールズ・バーガー(30)、ジョン・デントン(28)、オーガスタス・スピッツァー(30)である。 ジェイムズ・リード(英語版)は45歳アイルランド系移民で、1831年イリノイ州移住していた。同行者は妻マーグレット(32)、養女ヴァージニア13)、実の娘マーサ・ジェーン通称"パティ"(8)、息子ジェイムス(5)とトーマス(3)、およびマーグレットの母サラ・キース(70)である。サラ・キースは末期肺結核病んでおり、5月28日死去して路傍埋葬された。リード移住するにあたり経済的な悩み打開のほかに、カリフォルニア気候長らく体調不良だったマーグレットの健康に利することを期待していた。 リード家は牡牛御者を3人雇ったミルフォードミルト)・エリオット28)、ジェイムス・スミス25)、ウォルター・ヘロン(25)である。ほかに使用人のベイリス・ウィリアムス(24)がおり、その姉エリザ25)も一家調理人として同行したインディペンデンス発って1週間のうちに、ドナーリードウィリアム・H・ラッセル名目上リーダーとする幌馬車50からなる一団合流した一行6月16日までに450マイル720キロ進みワイオミング州ララミー砦まであと200マイル320キロ)の地点至った。ここで大雨河川増水により旅程遅れたが、タムセン・ドナーはスプリングフィールド友人宛に「実際この先もっとひどいことでもなければ問題はないも同然と言えるでしょうね」と便り書いている。。当時まだ少女だったヴァージニア・リードは、後年、旅の出だしを「完璧に幸せだった」と回想している。 道中ではほかの家族いくつか合流した。ラヴィナ・マーフィー(37)はテネシーから来た寡婦13人家族を率いていた。彼女の下の5人の子ジョン・ランドラム(16)、メリアム通称"メアリ"(14)、リミュエル(12)、ウィリアム10)、サイモン(8)に加え、すでに嫁いだ2人の娘が家族とともに同行していた。サラ・マーフィー・フォスター(19)と夫のウィリアム・M(30)および息子のジェレマイア・ジョージ(1)、ハリエット・マーフィー・パイク(18)と夫のウィリアム・M(32)および娘のネオミ(3)キャサリン(1)である。ウィリアム・エディ(28)はイリノイから来た馬車職人で、妻のエレノア25)と2人の子ジェイムス(3)マーガレット(1)を連れていた。ブリーン家はアイオワから来た農夫のパトリック・ブリーン(51)と妻のマーガレット通称"ペギー"(40)および7人の子ジョン14)、エドワード13)、パトリックJr.(9)、サイモン(8)、ジェイムス(5)、ピーター(3)生後11か月イサベルからなり近所住んでいた独身者のパトリック・ドラン(40)も一緒に来ていた。ドイツ系移民のルイス・キースバーグは、妻エリザベス・フィリピン(22)と娘のエイダ(2)とともに参加し道中息子ルイス,Jr.生まれたスピッツァーとラインハートという2人の若い独身男性は、ドイツ人夫婦のウォルフィンガー夫妻とその御者"ダッチ・チャーリー"ことバーガー同行しており、ほかにハードクープという年配の男性乗り合わせていた。ルーク・ハロランという若い男性結核日に日に悪化しており、その面倒を見る手間物資余裕がないため家族から家族へたらい回しにされていた。

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「ドナー隊の構成家族と形成経緯」を含む「ドナー隊」の記事については、「ドナー隊」の概要を参照ください。

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