第二期陳水扁時代とは? わかりやすく解説

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第二期陳水扁時代(2004年 - 2008年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 09:45 UTC 版)

総統民選期の中華民国」の記事における「第二期陳水扁時代(2004年 - 2008年)」の解説

再選目指し陳水扁2004年総統選挙出馬したが、政局混乱台湾経済停滞などにより、国民党支持率拮抗していた。しかし、投票直前銃撃事件など同情票を獲得した陳水扁辛うじて過半数獲得して再選されたが、その得票率低迷その後の政局運営困難さ予想させる結果であった今回当選果たせなかった国民党は、中国共産党(以下「共産党」)と距離を保持する民進党対し国民党は親共産党路線展開し党首連戦当時)が北京訪問し1948年以来に国共両党首による会談実現させるなど、共産党中国経済深く依拠している台湾財界への支持図っている。また陳水扁娘婿インサイダー株取引夫人の不正経費処理問題により民進党へ攻撃強め民衆による大規模な陳水扁デモへとつながっている。 こうした中、陳水扁民進党主席の座を争って敗れた施明徳離党、反陳水扁運動展開するなど民進党内部分裂進行している。民進党2008年総統選挙睨んだ党勢立て直しを図るが、民進党自体独立系民主化勢力大同団結し結党された経緯もあり、両岸問題について意見の対立存在するなど、党運営難し局面迎えている。 努力するものの、元々様々な独立民主化勢力烏合して党を作ったという経歴もあり、また断固独立目指す右派と、現状維持よしとする左派との対立表面化するなど、政治経験の薄い陳総統には苦しい展開が続いている。 又、国際政治環境も、台湾大きな影響与えている。共産党民進党下野望み国民党との経済重視対話路線展開し台湾世論を反独立へ誘導しているといわれている。アメリカ政府も、イラクでの駐留問題など抱え中華人民共和国との協調路線維持すべく台湾独立反対との立場改め強調しており、2007年8月中華民国政府国際連合対し台湾名義での加盟申請提出した際に両国政府不快感示したことで、台湾本土化を推進する民進党政権へ打撃となっている。またそれまで台湾支援していた中南米諸国でも、経済的影響力を増しつつある中華人民共和国への接近認められ2007年8月行われた陳水扁による中米公式訪問でも大きな成果をあげることなく帰国している。 2008年総統選挙巡っては、国民党外省人本省人問わず支持されている馬英九台北市長候補者擁立し政権奪取目標掲げ当選し共産党との協調交流拡大掲げ国民党へ政権交代実現することとなった

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