第三十八号哨戒艇とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第三十八号哨戒艇の意味・解説 

蓬 (駆逐艦)

(第三十八号哨戒艇 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 00:36 UTC 版)

(よもぎ)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、樅型駆逐艦の19番艦である。


注釈

  1. ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1074-1075(昭和3年艦船要目公表範囲)では大正10年3月14日進水となっているが、転記ミスと思われる。
  2. ^ 151名または152名とするものもあり、第百二号哨戒艇や第三十三号駆潜艇に救助されて3名が生存したという記録もある[18]
  3. ^ 海軍辞令公報上の職名は全員が「第一哨戒艇隊特務艇長兼分隊長」で、誰がどの艇の艇長なのかは記載されていない。本艇については種子予備大尉が1942年4月10日に本艇と同時に鎮海警備府部隊鎮海防備戦隊鎮海防備隊へ異動し、1943年2月15日の哨戒艇長新設に伴い本艇の哨戒艇長に任じられているため、当時の特務艇長の判定が可能。第一哨戒艇隊特務艇長は海軍省が発令するもので、防備隊編制令や哨戒艇乗員標準による制限を受けない。
  4. ^ a b 昭和18年2月15日付 海軍大臣達 第23号による艦船乗員服務規程第1条第2項の改正で哨戒艇長が新設されるまでは、第一哨戒艇隊特務艇長を除き、本艇に限らず哨戒艇の艇長は公式には存在しない。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『日本海軍史』第7巻、301頁。
  2. ^ #帝国海軍機関史下巻pp.589-590(四八五-四八六頁)
  3. ^ #一般計画要領書p.16、士官6名、特務士官3名、下士官26名、兵72名
  4. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.601-602、『大正八年六月十日(内令一八二) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 二三等驅逐艦定員表ヲ附表ノ通改ム | 第六十表 | 二三等驅逐艦定員表 |(詳細、備考略) |』將校、機關將校6人、特務士官准士官3人、下士26人、卒75人
  5. ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1074-1075、昭和3年2月14日附内令第34号、艦船要目公表範囲。
  6. ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1100-1101、昭和6年4月29日附内令第79号、艦船要目公表範囲。
  7. ^ #T11公文備考33艦船1/駆逐艦董蓬製造一件(1)画像38『大正十一年八月十九日 石川島蓬艤装員長代理ヨリ電話 駆逐艦蓬本日午前九時半品川沖ニテ授受ヲ了シ横須賀ヘ回航セリ』
  8. ^ a b 海軍進攻作戦(蘭印)154頁『敵敷設艦を撃沈』
  9. ^ 日本水雷戦史66頁(開戦時、上海や香港で水上艦艇同士の小規模戦闘が生起している)
  10. ^ #PB38,1911(2) p.37
  11. ^ #一護1911 p.56
  12. ^ #SS-403, USS ATULEp.33
  13. ^ #PB38,1911(2) p.42
  14. ^ #SS-403, USS ATULE pp.33-34, pp.53-54
  15. ^ #PB38,1911(2)
  16. ^ #野間 p.451
  17. ^ #SS-403, USS ATULE p.34
  18. ^ 前川正名「鳳山区紅毛港保安堂について」『中国研究集刊』第60号、大阪大学中国学会、2015年6月、213-224頁、doi:10.18910/58698ISSN 0916-2232NAID 120005895652 
  19. ^ “台湾・高雄に日本の「軍艦」祭る新堂完成 日本統治時代の軍港、今も追悼供養”. MSN産経ニュース. (2014年1月10日). オリジナルの2014年1月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140110040525/http://sankei.jp.msn.com/world/news/140110/chn14011007390000-n1.htm 2014年1月12日閲覧。 
  20. ^ 『官報』第2888号、大正11年3月22日。
  21. ^ a b 『官報』第2957号、大正11年6月12日。
  22. ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  23. ^ a b 『官報』第3807号、大正14年5月4日。
  24. ^ a b 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
  25. ^ a b 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  26. ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  27. ^ 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
  28. ^ 『官報』第1912号、昭和8年5月19日。
  29. ^ a b 『官報』第1918号、昭和8年5月26日。
  30. ^ a b 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
  31. ^ a b 『官報』第2224号、昭和9年6月2日。
  32. ^ a b 『官報』第2523号、昭和10年6月3日。
  33. ^ 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
  34. ^ #KK127
  35. ^ a b #KK1211
  36. ^ #KK142
  37. ^ 昭和16年11月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第752号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072083200 
  38. ^ 昭和17年4月10日付 海軍辞令公報 (部内限) 第841号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085100 
  39. ^ 昭和18年2月16日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1054号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089700 
  40. ^ 昭和18年6月21日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1153号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091700 


「蓬 (駆逐艦)」の続きの解説一覧

第三十八号哨戒艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/19 15:08 UTC 版)

第三十一号型哨戒艇」の記事における「第三十八号哨戒艇」の解説

樅型駆逐艦」。1944年11月25日1時15分頃、マニラから高雄への輸送作戦従事するさんとす丸戦艦武蔵生存者便乗)の護衛中バシー海峡にて米潜「アトゥル」の攻撃戦没した。艦橋および機械室付近に魚雷2本を受け、1分ほどで沈没哨戒艇長高田又男大尉以下、145名が戦死した後年高雄道教霊廟鳳山紅毛港保安堂にて神艦として祀られるうになる

※この「第三十八号哨戒艇」の解説は、「第三十一号型哨戒艇」の解説の一部です。
「第三十八号哨戒艇」を含む「第三十一号型哨戒艇」の記事については、「第三十一号型哨戒艇」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第三十八号哨戒艇」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第三十八号哨戒艇」の関連用語

第三十八号哨戒艇のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第三十八号哨戒艇のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蓬 (駆逐艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第三十一号型哨戒艇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS