稲葉小僧を扱った創作物
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稲葉小僧が不忍池に飛び込み逃走したエピソードは、寛政元年(1789年)、葺屋町の歌舞伎座・市村座の春芝居にて、『荏柄天神利生鑑』(えがらてんじんりしょうかがみ)に取り入れられた。お染の兄の悪党九蔵が、縛られて連行されていたところ、縄を抜けて池の中に飛び込むと、やがてお染が花道の切幕より出てくるという早変わりを市川門之助が演じて大当たりを取った。馬琴もそれを観に5日も通ったと記している。 『近世実録全書』に収録された『稲葉小僧』という物語は、稲葉小僧と田舎小僧、2人のエピソードを織り交ぜて作られている。天明年間を舞台に、武州足立郡新井戸村(あらゐどむら)の百姓、稲葉市右衛門の子・新助23歳と、同村出身の百姓、野宮宇八の次女・深雪野(みゆきの)、本名お雪16歳の2人の男女を主人公としている。同じ村で生まれた2人は情を交わすようになったが、親に知られお雪は江戸に奉公に出され、新助はその後を追って江戸に出て住み込み奉公を始める。物語冒頭は吉原に売られ遊女になったお雪こと深雪野と新助が遊女屋の茗荷屋で再会したところから始まる。 奉公先や遊女屋、身請け先など行く先々で2人は悪事を働くが、大宮の古鉄買(ふるかねかい)おさらば惣七の元に身を寄せた際、惣七に誘われて行った賭場で新助は目明しの手先に正体を見破られ、捕り方に追われることとなる。新助は何とか逃げ延びるが、惣七の家にいたお雪は捕まってしまう。無一文になった新助は単身江戸へ戻り、武家屋敷、寺院、商家で盗みを働き、それが稲葉小僧の仕業だという噂が広まる。新助が捕まったのは天明5年9月16日のことで、一橋家の屋敷に忍び込もうとしたところを見回りの足軽に発見され、翌17日に南町奉行山村信濃守良旺に引き渡された。安永6年12月6日から捕まるまでの9年間に、御三家、御三卿の他、24の大名屋敷から、328品の物を盗み、売り捌いて得た金額は140両余、銭7貫文と供述。同年10月22日、老中松平周防守の指図で、武州無宿(綽名稲葉小僧)入墨新助33歳は獄門となった。お雪は身請けされた桐生の富豪・絹問屋の世良田屋与兵衛を殺した罪で小塚原で磔にされた。新助が処刑された翌年11月のことであった。 なお、作中での新助は、吉原で騒動に巻き込まれた際に稲葉家の紋である亀甲形に三の字の紋付を着た武士の格好をしており、会所にいた町奉行所の役人に「拙者儀は堂前辺に潜居する、稲葉幸蔵(いなばこうぞう)」と名乗っている。『鼠小僧実記』は稲葉小僧と鼠小僧の逸話を合併して拵え上げたもので、この「稲葉幸蔵」の名も使われていると鳶魚は書いている。 他には山本周五郎の『栄花物語』にも登場するが、作中では「田舎小僧」を名乗っていたがそれが訛って「稲葉小僧」と呼ばれることもあったとしている。 TVドラマでは、1971年〜1972年にNHK総合で放送された「天下御免」のメインキャラクターの一人(主人公・平賀源内の仲間)として義賊「稲葉小僧」が登場し、秋野太作(当時は津坂匡章)が演じている。
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