稲葉正住の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 03:44 UTC 版)
やがて相模小田原藩主で京都所司代を罷免された稲葉正往(正通)が貞享2年(1685年)12月に10万3000石で移封され高田藩が再び立藩する。正住は第3代将軍家光の乳母春日局の曾孫に当たり、父は第4代将軍家綱の下で老中を務めた正則である。 正住は荒廃した高田の城下町を再建するため、荒れた屋敷の区画整理や新田開発を行い、結果として城下町の中に田園があるという変則的な城下町が生まれることになった。正住はのちに江戸城大留守居役として幕政に復権し、老中就任を経た元禄16年(1701年)6月、下総佐倉藩へ移封された。
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