福島第一原子力発電所事故対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 10:01 UTC 版)
「西山英彦」の記事における「福島第一原子力発電所事故対応」の解説
2011年3月発生した東日本大震災に伴う、福島第一原子力発電所事故の原子力安全・保安院記者会見にスポークスマンとして6月末までほぼ連日のように記者会見を行い、その姿が全国に放映された。 事故直後3月12日午後には、担当者の原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官(原子力安全基盤担当)が記者会見を行っていたが、「(1号機の)炉心の中の燃料が溶けているとみてよい」との発言内容を官邸側が問題視した。翌13日午前5時の会見では、根井寿規審議官(原子力安全担当、核燃料サイクル担当)が担当したが、震災発生から一睡もしないまま臨んだ最初の会見で「(会見を)やりたかないんですけれども、(中略)幹部からの指示で私が会見させていただきます」などと発言したことが問題視され即座に交代させられた。そこで、西山が経済産業省の審議官級では数少ない保安院経験者であること、経済産業省の報道室長を歴任したことなどから、広報担当として同日午後から会見した。当初は記者の質問に即答できず、はにかみながら資料をめくり苦慮する姿が印象的であったが、次第に場慣れして広報担当者として円滑にこなした。 震災事故直前までは経済産業省大臣官房審議官(通商政策局担当)を勤めており、基本的には通商畑のキャリアを歩んできたが、資源エネルギー庁電力・ガス事業部長や原子力安全・保安院 企画調整課長を歴任しており、原発などエネルギー問題とも無縁ではなかった。 2011年6月23日発売の週刊新潮において、経産省職員との不倫問題が大きく報じられ、この件について同日の記者会見で自分から「深く反省している」と謝罪した。また、海江田万里経産相からも厳重注意を受けた。その後、6月29日に原発事故の広報担当を更迭された。7月15日には大臣官房審議官(通商政策局担当)も外れ、官房付となった。同年9月30日には、原発事故発生後の3月から6月の間、勤務時間中に自室だった審議官室にて複数回にわたり30代の女性職員とのキスや、身体的接触を行うなどの不適切な行為があったとして停職1ヶ月の懲戒処分を受けた。停職処分の明けた11月18日には環境省水・大気環境局との併任となり、同省の福島除染推進チーム次長に就いた。しかし、参議院東日本大震災復興特別委員会にて吉田忠智が先の女性問題に触れ「こんな人物が除染を担当して福島の皆さんが信頼すると思いますか。不適切ではないか」と質問し、福島には行かず、東京で勤務することが判明した。 2013年6月28日付で経済産業省を辞職した。2013年9月21日付で矢崎総業株式会社企画室主査に就任。同社監査部主査を経て、2015年6月21日付で矢崎ブラジル有限会社副社長に就任。 2011年11月15日、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(政府事故調)から聴取を受け、2014年11月12日、その記録が公開された。
※この「福島第一原子力発電所事故対応」の解説は、「西山英彦」の解説の一部です。
「福島第一原子力発電所事故対応」を含む「西山英彦」の記事については、「西山英彦」の概要を参照ください。
- 福島第一原子力発電所事故対応のページへのリンク