県立図書館と戦中の焼失とは? わかりやすく解説

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県立図書館と戦中の焼失

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 07:36 UTC 版)

宮城県図書館」の記事における「県立図書館と戦中の焼失」の解説

1907年明治40年4月図書館令に基づき宮城書籍館宮城県立図書館へと名を変えた1909年明治42年)には巡回文庫誕生したこの年加美郡牡鹿郡本吉郡遠田郡だけの巡回だったが、翌年からは宮城県内全ての郡を回るようになったこの間利用者数と蔵書数伸び1882年明治15年)に利用者数7567人、蔵書数1万8465冊だったのが、1911年明治44年)には利用者5万6403人、蔵書68233冊となった宮城県立図書館への改名あわせて建物改築検討され始めた。しかし、資産家斎藤善右衛門による多額寄付があったことから、新築が行われることになった民間からの66000余り寄付受けて新館の建設始まりこの間宮城県立図書館県会議事堂医学専門学校講堂を仮館として業務続けた。そして1912年大正元年)、現在の勾当台公園南辺に当たる場所(北緯38度15分59.1秒 東経140度52分16.7秒 / 北緯38.266417度 東経140.871306度 / 38.266417; 140.871306 (第3代(1912年1945年)))に新館落成して、この年12月から供用開始した新築された本館25室を備え木造2階建てで、242席の閲覧席があった。書庫赤レンガ造り3階建てだった。 大正から昭和にかけて、宮城県立図書館様々な図書館活動行った巡回文庫がさらに展開され理髪店工場図書貸し出す理髪店文庫工場文庫が行われるようになった理髪店文庫は、仙台市内理髪店10店舗それぞれ10冊から20冊を1箇月貸し出すというもので、近所労働者学生がこれらを店で読んだり、あるいは借りた工場文庫活動としては、片倉製糸紡績仙台製糸所へ100冊以上の図書貸し出された。また、青少年読書会奨励したり、小学生童話会を組織したりもした。さらに図書活動加えて展覧会講演会座談会企画するなど図書館の活動多角化したこの頃蔵書充実していった時期でもあった。宮城郡原町旧家庄司から寄贈された『封内名蹟志』の原本を含む約2400冊が甘柿文庫となり、また漢学者今泉四郎(篁洲)の遺族から寄贈され1000余り図書今泉篁洲文庫となった。なお、この間宮城県立図書館1919年大正8年11月宮城県図書館改称した太平洋戦争勃発して本土空襲危機が迫ると、1944年昭和19年)頃より貴重な図書疎開が行われるようになった疎開先は宮城郡広瀬村上愛子および大沢村芋沢旧家選ばれた。しかし、疎開完了する前の1945年昭和20年7月10日仙台空襲があり、運び出されなかった図書がこれによって建物もろとも焼き払われた。疎開により難を逃れた図書は、青柳文庫今泉篁洲文庫養賢堂関連蔵書など約1万冊だった。

※この「県立図書館と戦中の焼失」の解説は、「宮城県図書館」の解説の一部です。
「県立図書館と戦中の焼失」を含む「宮城県図書館」の記事については、「宮城県図書館」の概要を参照ください。

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