県立図書館の草創(1954-1960)
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「広島県立図書館」の記事における「県立図書館の草創(1954-1960)」の解説
1954年(昭和29年)4月1日、施設はそのままに、広島県立児童図書館から広島県立図書館に改称した。同年11月16日に275万円をかけてバスを改造した移動図書館を導入、一般公募により「みのり」と命名した。翌1955年(昭和30年)には県内83市町村に1か所ずつ配本所を設けて巡回していたが、移動図書館は1台しかなく、県域を旧安芸国・備後国に分けて半年ずつ旧国内を巡回する方法を取ったため、県の東西で半年の分断ができ、十分な効果を発揮できなかった。さらに瀬戸内海の島々へ本を届ける手段がないという問題があった。 まず島へ本を届ける方法として、1955年(昭和30年)11月に巡回文庫を行うことにした。これは県内島嶼部を東部・中部・西部に分け、各町村の担当者が本土の港まで本を取りに来るというものであった。巡回文庫は1組40冊で構成され、文学・小説系が約20冊、生産系が約10冊、研究・修養系と趣味・娯楽系がそれぞれ約5冊という内訳であった。次に1957年(昭和32年)7月15日、みのり2号車が運用開始した。これは中国新聞社の寄贈によるもので、2,000冊を積載することができた。この巡回文庫と移動図書館の活動により、県民に図書館活動が浸透し、本館の建設が急務とされるようになった。当初、県は県庁舎の新築問題と財政難を理由に実現困難と回答していたが、1958年(昭和33年)3月26日、広島県議会は県立図書館本館の建設を議決した。同月、縮景園内の観古館跡地(広島市上流川甲40番地、現・中区上幟町)で新館の着工がなされ、1960年(昭和35年)4月1日に落成式を挙行し、4月8日に開館した。建物は縮景園の景観に配慮し、白と黒を基調とした外観の鉄筋コンクリート構造3階建、延床面積2,244 m2の規模となったが、蔵書数は41,557冊と少なかったことから、まだ館外貸し出しはできなかった。
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