観古館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 03:35 UTC 版)
現在地は元々旧広島藩主である浅野家(浅野長勲)が所有していた別宅「泉邸」の敷地であった。 1913年(大正2年)10月、泉邸の一角に浅野家所蔵の古美術品を一般公開する国内初の私立美術館が開館する。つまりこの地には大正時代から美術館が存在しており、名を「観古館(かんこかん)」といった。 当時の建物構成は、入口から正面の位置に事務所棟を置き、それを軸として左右に2階建ての洋風建築の陳列棟を配置し、左が第一号館、右が第二号館と呼ばれた。敷地面積1,424坪、陳列棟は間口10間・奥行5間で50坪を2棟。展示物は浅野家所蔵の和漢古書や刀剣、茶器類で、西洋のものはなかった。大正期には月平均3,500人来館した記録が残っている。 1939年(昭和14年)、この懐古館は浅野家から県に寄贈される。同じく浅野家所有だった泉邸や浅野図書館は、それぞれ1940年(昭和15年)県に・1931年(昭和6年)市に寄贈され、縮景園・広島市立中央図書館として現存する。 ただ、太平洋戦争中は大日本帝国陸軍に接収され第2総軍短波傍受班「特情班」が置かれ、1945年(昭和20年)8月広島市への原子爆弾投下により建物・展示品ともに壊滅したとされているが、2017年、所蔵品のうち浅野家から饒津神社に寄贈され、被爆当時観古館に保管されていた能面・能装束など約120点が焼失を免れ現存していることが明らかになった。遺構としては、入口門柱が三次市立塩町中学校に移設され現存するぐらいである。
※この「観古館」の解説は、「広島県立美術館」の解説の一部です。
「観古館」を含む「広島県立美術館」の記事については、「広島県立美術館」の概要を参照ください。
- 観古館のページへのリンク