看護教育の充実とは? わかりやすく解説

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看護教育の充実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/02 23:24 UTC 版)

眞玉橋ノブ」の記事における「看護教育の充実」の解説

1951年昭和26年4月からは看護学校への入学条件高校卒業資格者引き上げ、3か年課程看護教育制度確立未だ交通網の整備されていない社会状況のなか、県内離島各地高校をワニタとともに訪問し優秀な学生集めることに奔走した。これは将来看護指導者たちを育成することを考慮したものであった。また看護婦学校将来琉球大学看護学部移行することを想定し同学校で単位認定ができるよう働きかけこれを認めさせた。さらに指導者育成のため琉球大学委託生を派遣(期間1年)。これにより大学レベル充実した看護教育実施することを可能とした。 この制度1971年昭和46年3月まで約20年続き看護学校学生大学単位認められたことは沖縄看護教育水準飛躍的に高め大きな成果となっている。なお看護学校昭和29年病院附属から独立した学校となり、教育体制整備加速していく。 1952年昭和27年琉球政府厚生局看護係長になると、立ち遅れ医療事情深く心を痛め看護行政整備に力を注いだ。とくに戦争失われた看護免許保健婦助産婦看護婦)の復活関係機関働きかけ看護職として身分復活看護要員確保推進し社会医療対する不安解消努めた1966年昭和41年10月から1972年昭和47年3月まで、沖縄中部病院において本土では例を見ない臨床研修医制度」を立ち上げ看護体制確立看護業務の向上に努めた研修医訓練円滑に行ったことも看過できない功績のひとつとされている。 1972年昭和47年3月琉球大学付属病院初代看護婦長に就任すると、約8年間にわたり同大保健学部実習病院として機能し同大学への看護教育実践の場を提供、看護教育発展寄与した1980年昭和55年4月沖縄県初め市町村による病院誕生すると、那覇市立病院看護婦長として地域密着型看護掲げ国立琉球大学医学部保健学科県立那覇看護学校浦添看護学校実習病院としての受け入れ促進将来看護婦たち実勢の場を提供し後輩指導後進育成にあたるなど、沖縄看護教育の向上に多大な影響残している。

※この「看護教育の充実」の解説は、「眞玉橋ノブ」の解説の一部です。
「看護教育の充実」を含む「眞玉橋ノブ」の記事については、「眞玉橋ノブ」の概要を参照ください。

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