百足
『子不語』巻8-183 私(=『子不語』の著者・袁枚)の舅父(おじ)が、温州(浙江省)の雁蕩山で、蜈蚣(むかで)が大蛇を殺すのを見た。長さ数丈の大蛇が、体長5~6尺の蜈蚣に追われて、渓流に飛び込む。蜈蚣は口から赤い丸薬を吐いて、水中に落とす。水は沸騰し、大蛇は死んで浮き上がる。蜈蚣は大蛇の脳をついばみ、水中の丸薬を口に収めて、空高く飛び去った。
『池北偶談』(清・王士偵)「キョウ蛇」 広西地方にいるキョウ蛇は、不思議に人の姓名を知っており、それを呼ぶ。呼ばれて答えると、その人はただちに死ぬ。それで、この地方では箱の中に百足を入れておき、夜、人の名を呼ぶものがあると、返事をせずに百足を放す。百足は戸外に潜むキョウ蛇を食い殺して、また箱に戻って来る。
『独醒雑志』「報寃蛇(ほうえんだ)」 旅人がたわむれに杖で蛇を打つ。その後、旅人は身体の具合が悪くなる。宿の主人が「その蛇は報寃蛇というもので、今夜来てあなたを咬むでしょう」と言い、竹筒を貸し与える。夜、蛇が来たので、旅人が竹筒を開けると、百足が這い出して蛇を殺す。
『今昔物語集』巻26-9 加賀国の男7人の乗る船が風に吹かれ、沖合の島に漂着する。蛇の化身である男が来て、「明日、宿敵と戦うので助けて欲しい」と請う。翌日、海上から長さ10丈ほどの百足が現れ、島からは同じほどの長さの大蛇がこれを迎え撃ち、噛み合う。7人の男たちは多くの矢を百足に射かけ、刀で百足の足を斬って殺す。蛇の化身は礼を述べ、7人は家族とともにこの島に移り住んだ。
『俵藤太物語』(御伽草子) 大蛇の化身である美女が俵藤太秀郷に、「琵琶湖に住む私たちの一族は、三上山の大百足に苦しめられている」と訴え、「大百足を退治してほしい」と請う。三上山をゆるがしてやって来る大百足を、俵藤太は強弓で2度射るが、2度ともはね返される。3度目に矢先に唾をつけて射ると、唾は百足にとっては毒になるので、矢は大百足の眉間から喉をつらぬき、殺すことができた。
『日光山縁起』下 有宇中将は死後に神となり、下野国の日光権現となった。日光権現は中禅寺湖の領有をめぐって、上野国の赤城大明神としばしば戦った。日光権現は、孫にあたる小野猿丸が弓の名手だったので、助力を請う。赤城大明神は大百足の姿で湖水を渡って攻めかかり、日光権現は大蛇の姿で迎え撃つ。猿丸は強弓で大百足の左眼を射抜き、大百足は深手を負って退却する。
★3.百足の多くの足。
『百足の使い』(昔話) 寒い日に、百足と蚤と虱が「酒を買って来て飲もう」と、相談する。蚤は飛び跳ねるので酒瓶を割る恐れがあり、虱は足が遅い。そこで百足が酒屋まで出かけるが、なかなか戻って来ない。蚤と虱が見に行くと、百足は足がたくさんあるものだから、まだ庭のすみでわらじをはいている途中だった(長崎県西彼杵郡伊王島)。
★4.百足が人を殺す。
『夢の浮橋』(谷崎潤一郎) 「私(乙訓糺・おとくにただす)」は6歳で生母を失った。「私」が9歳の時に父は再婚し、「私」には12歳年上の継母ができた。「私」は成人後、継母と関係を持つようになった。父は「私」に、「妻をめとり、夫婦で母に仕えよ」と遺言して死んだ。「私」は妻をめとったが、3年後、妻の不注意により、継母は百足に胸を刺され、35歳で死んだ。妻が故意に、眠る継母の胸に百足を置いたのかもしれなかった。
『異苑』42「むかでと老婆」 秋の夕暮れ時、胡充という人の家に3尺ほどの大百足が現われ、胡充の妻と妹の前に落ちた。女中が百足を外へつまみ出したが、外へ出たとたん、女中は1人の老婆と出会った。老婆はぼろぼろの着物を着て、両目とも瞳がなかった。翌年春、胡充の一家は流行病にかかり、次々に死んでいった。
銭亀家の白百足の伝説 ある夜、財産家の銭亀さんの家に大きな白百足が現れ、皆が恐れ騒ぐうちに姿を消した。これは裏山の毘沙門様から来たのだろうというので、銭亀さんは、毘沙門様に通ずる道筋に1メートルほどの段を掘り、「道切り」をした。それから白百足は姿を見せなくなったが、銭亀さんの家には不幸が重なり、財産も人手に渡ってしまった(兵庫県佐用郡佐用町)。
*オホナムヂは、呉公(むかで)の部屋に入れられ(*→〔難題〕2aの『古事記』上巻)、スサノヲの頭の呉公を取らされる(*→〔虱〕2の『古事記』上巻)。
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