百万本のバラ
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「百万本のバラ」(ひゃくまんぼんのバラ、ロシア語: Миллион розミリオーン・ロース)は、ラトビアの歌謡曲『Dāvāja Māriņa』(ダーヴァーヤ・マーリニャ)を原曲とするロシア語の歌謡曲である。ソビエト連邦の歌手アーラ・プガチョワ (ロシア語版)の持ち歌として知られる。日本では加藤登紀子による日本語版でも知られる。本項では原曲『Dāvāja Māriņa』についても併せて記載する。
注釈
- ^ 日本では『マーラが与えた人生』の題で紹介されていることがある。なお「マーラ」はラトビアの神話に登場する女神で、ラトビア神話の神々のなかで最高位にある神のひとりである。
- ^ 「レオンス・ブリアディス」の苗字のカナ表記は「ブリエディス」とも表記される。
- ^ 兄は画家・美術評論家のキリル・ズダネーヴィチ(1892-1969)、弟は詩人のイリヤ・ズダネーヴィチ(1894-1975)。
- ^ 画材代にも事欠くピロスマニが、当時チフリスのどこの食堂にもあったテーブルクロス用の防水布(露 клеёнка)に作品を描いていたことに由来。
- ^ 朝日新聞2008年11月の記事には、ヴォズネセンスキーは1963年にフルシチョフから痛烈に批判されたため、1966~67年には中央から遠く比較的自由だったグルジアに移り住み、そこでグルジア人彫刻家のズラーブ・ツェレテーリと付き合ううち、ピロスマニとマルガリータの物語を知った、とある[2]。が、ヴォズネセンスキーとツェレテーリ(チフリス生まれ)とが生涯の親友となったことは事実だが[8]、詩人がグルジアに滞在した理由は「逃避」という消極的な側面ばかりでなく、彼が元々グルジアの地に強く魅せられていた[9]ことが大きい。彼は『百万本のバラ』以外にもグルジアへの愛に満ちた数多くの作品を書いている。また1960年代のヴォズネセンスキーは、フルシチョフの酷評にもかかわらず、当時は貴重な西側諸国訪問の機会を度々与えられていた。
- ^ 朝日新聞デジタルの2023年12月の記事は、詩人がロシア語歌詞を依頼される2日前に偶々ピロスマニの恋物語を読んでいたことが作品誕生につながった、としているが[11]、「昔の蔵書を読み返した」のか「初めて読んだ」のかという区別までは書かれていない。
- ^ 音楽出版者が全世界の地域について単独でその活動を行うことは難しいことから、特定地域の出版者と、その地域についての利用開発やプロモーションを任せる契約を結ぶことがある。この場合、作詞者・作曲者から直接権利を取得した音楽出版者はOP(Original Publisher)と呼称し、OPと契約を結び特定地域についての活動を任せられた音楽出版者はSP(Sub Publisher)と呼称する。
出典
- ^ コンテストの映像 2021年2月閲覧
- ^ a b c d e f 『朝日新聞』2008年11月1日朝刊土曜版 be on Saturday Entertainment、e1-e2面「うたの旅人 加藤登紀子『百万本のバラ』」(文・大野正美)。
- ^ TVNET Izklaide : Mыzika : Video/Audio : Mikrofons 2005 - ウェイバックマシン(2009年9月10日アーカイブ分)(ラトビア語)
- ^ Latvieрu dziesmu serveris - ウェイバックマシン(ラトビア語)
- ^ Ozols - Dāvāja Māriņa - YouTube(オゾルス「マーラは与えた」、2021年2月閲覧)
- ^ a b 大木俊治 「『百万本のバラ』の故郷へ」 『毎日新聞』 2009年11月24日、13版、10面。
- ^ 山之内重美『黒い瞳から百万本のバラまで ロシア愛唱歌集』東洋書店、2002年 ISBN 978-4885953934
- ^ “Зураб Церетели подарил Владимиро-Суздальскому музею-заповеднику скульптуру Андрея Вознесенского(ズラブ・ツェレテリ、ヴラジーミル=スズダリ野外文化財博物館にアンドレイ・ヴォズネセンスキー像を寄贈)” (ロシア語). smotrim.ru (2015年12月3日). 2024年2月21日閲覧。
- ^ Анаида Беставашвили(アナイーダ・ベスタヴァシヴィリ (2010年7月15日). “Память Андрея Вознесенского;Вольноотпущенник времени(追悼 アンドレイ・ヴォズネセンスキー;時代のくびきから解放された者” (ロシア語). Свободная Грузия(自由グルジア) 2024年2月21日閲覧。(pdf)
- ^ Wikipedia「アンドレイ・ヴォズネセンスキー」のロシア語版には、ヴォズネセンスキーがパウストフスキーの長編小説から『百万本のバラ』の着想を得たことが明記されている(2024年2月現在)。
- ^ 根本理香 (2023年12月3日). “(with読者会議)ジョージアで一人歌った「百万本のバラ」加藤登紀子さん、メンバーと語り合う”. 朝日新聞デジタル 2024年2月21日閲覧。
- ^ 山田五郎. “【ジョージアのアンリ・ルソー】泣ける!放浪の画家ピロスマニの悲劇【加藤登紀子・百万本のバラ】”. 山田五郎. 2023年5月16日閲覧。
- ^ YouTube イーゴル・クリード「ミリオン・スカーレット・ローズ」(Егор Крид - Миллион алых роз)2021年2月閲覧
- ^ 兵頭ニーナ。日本で最初にレコードをリリース。現在、札幌でロシア料理店『ペチカ』を経営。http://pechika1648.com/nina/
- ^ 富沢一誠(監修)『J-POP名曲事典300曲 「シャドー・シティ」から「Hello, Again 〜昔からある場所〜」まで誕生秘話』ヤマハミュージックメディア、2008年、259頁。ISBN 978-4-636-83873-2。
- ^ a b c d e JASRAC作品データベース検索サービス J-WID 検索結果
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