白鳥胴上げ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 02:33 UTC 版)
1965年(昭和40年)5月5日。川崎競輪場で開催されていた第10回オールスター競輪は最終日の決勝戦を迎えた。白鳥の他、同大会3連覇がかかる高原永伍をはじめ、「3強」の一角、平間誠記の他、高原と一時期ライバル関係にあった松川周次郎、2人で一時代を築いた吉田実、石田雄彦、さらに「捲りの名人」と言われた加藤晶らが決勝へと駒を進めていた。 しかし当日はゴールデンウィークだった上に一日順延で祝日の決勝になったことも手伝い、川崎競輪場のスタンドは客でぎっしり埋まり、ついにはスタンド内で見られなくなった客は、スタンド上の屋根に上ったりするなどして、何とかレース観戦しようとした。一方、スタンド前方にいた客は続々と後から客が入場してくるものだから、押しつぶされそうになっていた。やがて、スタンドの柵を超え、バンク内へとおしかける客が出始めた。そして決勝直前には、約3000名ほどがバンク内になだれ込むという、「異常事態」となった。当初主催者側はこのような非常事態下では競輪競走を行うことは不可能ではないかとして、レース中止も検討していたそうだが、バンク内に入った客は三角座りをするなどしてじっと決勝戦の行方を見守っていた様子だったことから、決勝戦は予定通り行われることになった。 レースは逃げる高原、番手の平間と続いて、白鳥は3番手でレースを進めたが、一本棒の展開となった。最後の直線で差す算段だった平間に対し、白鳥は既に最終第3コーナーで追い出しにかかっており、直線でグーンと伸びて優勝。高原の同大会3連覇を阻止した。 このレースの直後、クールダウンを行っていた白鳥に対し、バンク内にいた客が集まり、白鳥は身動きが取れなくなった。すると、ある客が「これから白鳥を胴上げするぞ!自転車は俺が持ってるから、絶対にこいつに触れるんじゃねぇぞ!」と言って、その客は白鳥の自転車を高々と掲げ[要出典]、他の客はついに白鳥を胴上げし始めた。これがいわゆる「白鳥胴上げ事件」であり、胴上げは延々5分ぐらい続いたという。このような事例は、当時騒擾事件が頻発していた競輪においては、とにかく信じられない光景だった上に、ファンがこうした行動に出るとは誰もが思ってもいなかったが、白鳥のファンが優勝を心待ちにしていた結果だったからこそ発したものだったと言われている。その後白鳥はこの事について「ああ、競輪選手でよかった。」と述懐している。 なお、この決勝はメインレースとして最終レースの前に実施されており、この一件の余波を主催者側は心配していたが、白鳥の胴上げが終わると客は走路内から観客席に引き上げていき、最終レースと優勝セレモニーは無事に開催されている。 この余勢をかって、白鳥は同年6月に開催された第16回高松宮賜杯(現在の高松宮記念杯) も優勝し、特別競輪連覇を果たした。また同年の賞金王(1210万1480円)にも輝いた。
※この「白鳥胴上げ事件」の解説は、「白鳥伸雄」の解説の一部です。
「白鳥胴上げ事件」を含む「白鳥伸雄」の記事については、「白鳥伸雄」の概要を参照ください。
白鳥胴上げ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/12 08:08 UTC 版)
「第10回オールスター競輪」の記事における「白鳥胴上げ事件」の解説
1着で入線した直後、右手を高々と挙げながらクールダウンに入っていた白鳥を、4角付近で大勢の客が止め、その後「胴上げ」を始めた。この胴上げは5分程度続いたと言われている。当時はまだ、競輪というと観客のトラブルによる暴動事件が頻発していた頃であったが、客が選手を祝福するという、前代未聞の出来事とあいまった。 しかし、この一件により川崎競輪場では以後、警備不能を理由に特別競輪(現在のGI)の開催地に立候補しなくなり、長らくグレードレースはGIII相当の開設記念競輪(桜花賞典・海老澤清杯競輪、通称桜花賞)のみという状態が続いていた。ただ、その後川崎競輪場ではGII相当のサマーナイトフェスティバルを3回開催するなど実績を重ね、2021年2月開催予定の(第36回全日本選抜競輪)の開催が決定したことで、特別競輪と呼ばれた時代を含めて56年ぶりにGIを開催する予定である。
※この「白鳥胴上げ事件」の解説は、「第10回オールスター競輪」の解説の一部です。
「白鳥胴上げ事件」を含む「第10回オールスター競輪」の記事については、「第10回オールスター競輪」の概要を参照ください。
- 白鳥胴上げ事件のページへのリンク