登場文献
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『公孫龍子』跡府 - 孔子の子孫の孔穿(中国語版)が、公孫龍の門弟になろうと訪ねてきた。しかし孔穿は「白馬非馬」に納得できないという。これに対し公孫龍は、楚共王と孔子の「楚弓楚得」の説話や、尹文の「士」の説話を語って、孔穿の誤りを指摘した。 『列子』仲尼 - 道家の魏牟(中国語版)(魏の公子牟)が、「白馬非馬」を含む公孫龍の諸学説を弁護した。殷敬順釈文によれば、公孫龍の字は「子秉」だった。 『荘子』秋水 - 公孫龍は魏牟に荘周の思想について教えを請うたが、「井の中の蛙」に大海の広さを教えたら自失してしまう、という旨を説かれ、舌を巻いて逃げ出した。 徐无鬼 - 成玄英(中国語版)疏によれば、荘周と恵施の会話に出てくる四つの学派「儒・墨・楊・秉」の「秉」が、公孫龍の字であり、公孫龍の学派を指すとされる。 天下 - 弁者の代表的人物の一人として言及される。 『淮南子』斉俗訓 - 学説が言及される。許慎注に学説の簡潔な解説がある。 道応訓 - 「声が大きい」などの一芸を持った人物を弟子に迎えていた。 詮言訓 『呂氏春秋』有始覧 聴言 - 燕の昭王に「偃兵」を説いた。 審応覧 審応 - 趙の恵文王に「偃兵」「兼愛」を説いた。 審応覧 淫辞 - 趙が魏を秦から守ったことについて、秦が趙に抗議を寄せた。公孫龍は平原君に抗議の退け方を助言した。「蔵三牙」という学説をめぐって孔穿と討論した。 審応覧 応言 - 燕の昭王に「偃兵」を説いた。高誘(中国語版)注によれば公孫龍は魏の人だった。 『史記』孟子荀卿列伝 - 趙で「堅白同異之辯」を説いた。 平原君虞卿列伝 - 平原君に進言した。鄒衍に非難されて趙を去った。『史記集解』所引の『別録』には、鄒衍の非難の詳細が記されている。 『戦国策』趙策 - 平原君虞卿列伝と同内容の進言。 『孔叢子』公孫龍 『塩鉄論』箴石 - 公孫龍の発言が引用される。同じ篇に「子石」の名も見えることから、本項の公孫龍ではなく孔子の弟子の公孫龍(中国語版)の発言とする解釈もある。 『法言』吾子 - 「公孫龍詭辞数万以為法……」 『論衡』案書 - 「公孫龍著堅白之論……」 『中論』考偽 『文心雕龍』諸子 『芸文類聚』巻66等所引『荘子』佚文、『太平御覧』巻390所引『説苑』佚文、『新序』雑事二など - 「梁君出猟」説話。 『初学記』巻7所引『七略』 - 兒説と似た出関説話。 『白孔六帖』巻9所引『新論』 - 兒説と似た出関説話。
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