王国の統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/03 16:21 UTC 版)
トゥールのグレゴリウスによると、グンドバトのブルゴーニュ帰還後、数年にわたり流血による権力の統合が行われた。グンドバトは彼の兄弟キルペリク2世を殺害し、その妻を溺死させ、娘たちを追放した(娘の1人クロティルダは後にフランク族のクロヴィスの妻となり夫をカトリックへ改宗させた)。この出来事については、グレゴリウスの年代記における多くの問題点を指摘したベリー(Bury)によって議論されている。 500年頃にグンドバトとクロヴィスとの間に戦争がおきると、グンドバトは彼の兄弟ゴデギゼルの裏切りに遭った。ゴデギゼルはフランク族に参加した。ゴデギゼルとクロヴィスの軍はグンドバトの軍を粉砕した。グンドバトは一時的にアヴィニョンに身を隠し、再び軍を召集することに成功した。グンドバトがヴィエンヌを略奪した際、ゴデギゼルとその多数の部下が死んだ。これ以降、グンドバトはブルグント王国の唯一の王として登場する。文献では触れられていないが、これは彼の兄弟ゴドマールは既に死亡していたことを示している。 グンドバトとクロヴィスは和解したが、初期段階でのクロヴィスの勝利の結果、グンドバトはその臣下となることを強いられ、507年に西ゴート族のアラリック2世に勝利した際はフランク族に協力した。 この激変の間、483年から501年までの間に、グンドバトは『Lex Gundobada』(下記参照)という法典を発布した。それは『Lex Visigothorum』を元に書かれたもので前半部分が発行された。自身への権力集中後、501年から死去する516年までの間にグンドバトは法律の後半部分を発行したが、それはよりブルグント人本来のものであった。
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