異文化対立、文化多様性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 18:05 UTC 版)
反捕鯨国の多くはクジラを食料としてきた歴史が途絶えて久しいため、「クジラを食料と見る文化が生き残っているか、そういう文化が生き残っておらず、保護対象としての野生動物と見る」という異文化対立が生じている。愛媛大学農学部の細川隆雄は、「鯨を捕るな食べるな」という価値観を日本は押し付けられたとしている。文化の多様性は尊重されるべきであるし、資源管理における地域社会の貢献もあり、日本の沿岸小型捕鯨者によるミンククジラの捕鯨は認められるべきである。B.モーランも、生存(生業)捕鯨(subsistence whaling)と商業捕鯨 (commercial whaling) の区別は西欧的な偏見のかかった価値体系に基づいたもので非西欧人には受け入れることができないし、捕鯨はコモディティであり生業捕鯨と商業捕鯨の区別は無意味であるとした。フリードハイムも反捕鯨規範を押し付けることは、文化的侵害行為として批判している。1989年に日本代表はIWCで「肉食文化が魚食文化を破壊するためにIWCを利用している」と批判した。オーストラリアではカンガルー、欧州ではきつね、アメリカでは子牛などのほ乳類を殺し食べているが日本の捕鯨を認めないというのは偽善である。ある文化的風習が過剰搾取や種の絶滅にならない限りは風習を堅持する権利が各文化にはある。農林水産省は「鯨肉の消費は時代遅れの文化的風習ではなく、牛肉を食べることが世界の標準でもない」と主張している。しばしば主に欧米と捕鯨国の捕鯨に対する意見の衝突は「ユダヤ教やキリスト教といった宗教・文化と捕鯨国(日本)との宗教・文化の価値観の相違」でもあると語られることがある。日本では捕鯨とクジラへの信仰があり、クジラを供養する宗教観が存在する。ただキリスト教国家でも捕鯨は行われていたことがある。 伝統的には日本では捕鯨された鯨への感謝や供養が見られ、当時は食糧確保が難しかったことを鑑みると、これは動物保護団体の思想に近いとする指摘や、村八分等の悪しき伝統もあり文化だからという理由だけで擁護すべきではないという指摘がある。 食用利用以外の歴史的経過については、捕鯨文化、鯨骨、鯨ひげ、鯨油も参照
※この「異文化対立、文化多様性」の解説は、「捕鯨問題」の解説の一部です。
「異文化対立、文化多様性」を含む「捕鯨問題」の記事については、「捕鯨問題」の概要を参照ください。
- 異文化対立、文化多様性のページへのリンク