生命のフリーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 19:39 UTC 版)
「エドヴァルド・ムンク」の記事における「生命のフリーズ」の解説
ウィキメディア・コモンズには、生命のフリーズに関連するメディアがあります。 ムンクは主に1890年代に制作した『叫び』『接吻』『吸血鬼』『マドンナ』『灰』などの一連の作品を「生命のフリーズ」と称し連作と位置付けている。「フリーズ」とは、西洋の古典様式建築の柱列の上方にある横長の帯状装飾部分のことで、ここでは「シリーズ」に近い意味で使われている。これらの作品に共通するテーマは「愛」と「死」、そして愛と死がもたらす「不安」である。 1902年の第5回ベルリン分離派展では、22点の作品が「愛の芽生え」「愛の開花と移ろい」「生の不安」「死」という4つのセクションに分けられていた。「愛の芽生え」のセクションには『接吻』『マドンナ』など、「愛の開花と移ろい」には『吸血鬼』『生命の踊り』など、「生の不安」には『不安』『叫び』など、「死」には『病室での死』『新陳代謝(メタボリズム)』などの作品が展示された。一つの部屋の四方の壁がそれぞれのセクションに割り当てられ、絵が部屋を囲むように高いところにぐるりと展示されていた。ムンクはこの時「フリーズ」という言葉を用いて、装飾的意図があることを明らかにしている。 その時の展示状況は写真に残されていないが、翌1903年3月、ライプツィヒで開催した展覧会の展示状況は、その写真が現存している。それによると展示室の壁の高い位置に白い水平の帯状の区画が設けられ、その区画内に作品が連続して展示されている。 1904年にはクリスチャニア、1905年にはプラハで連作展示が行われた。1909年にはラスムス・メイエルが『メランコリー』や『嫉妬』などをまとめて購入した際、次のように書き送っている。 実際のところ、これらの作品は、一つの壁画装飾のためのモデルにするつもりで描かれました。長年心に抱いていたある考えについてたまたま考えていたのですが、これらの作品をフリーズとして飾った芸術の礼拝堂を造ろうとしてスケッチを描いています。 ムンクは1918年にブロムクヴィスト画廊で「生命のフリーズ」の展示会を開くに際し、その成立について次のように振り返っている。この文章によって初めて「生命のフリーズ」という名称が与えられた。 僕はこのフリーズと、かなり途切れ途切れではあるが、約30年にわたって取り組んできた。最初のスケッチ風の構想は、1888年から1889年にかけてできている。『接吻』、『黄色いボート』、『謎』、『男と女』、そして『不安』は1890年から1891年に描かれ、1892年の初め、この町のトーストルップハウスで、更に同年ベルリンでの僕の最初の個展でも展示された。翌年、このシリーズに『吸血鬼』、『叫び』、『マドンナ』を含む新しい作品が付け加えられ、その後独立したフリーズとして、ベルリンのウンター・デン・リンデン画廊に展示された。1902年のベルリン分離派展では、その一部が「現代人の精神生活から」のタイトルで大ホールの壁にぐるりと並んだのが見られた。そのフリーズは一連の装飾的な絵と考えられ、集められているが、むしろ『生命の絵』とするべきであろう。〔……〕そのフリーズは、生命、愛、死についての一つの詩なのだ。
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