片岡仁左衛門代々とは? わかりやすく解説

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片岡仁左衛門代々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/15 00:46 UTC 版)

片岡仁左衛門」の記事における「片岡仁左衛門代々」の解説

初 代 片岡仁左衛門 豐島春之丞の弟、1656–1715年山下左衛門門人藤川伊三郎初代片岡仁左衛門 二代目 片岡仁左衛門 初代の子生没年不詳早世片岡三平初代片岡長太夫二代目片岡仁左衛門三代目 片岡仁左衛門 初代妹婿もしくは義弟生没年不詳初代藤川武左衛門門人藤川右衛門ふじかわ しげえもん)が「仁左衛門」の名跡を預っていたものとして、これを三代目にあてている。 初代藤川三郎藤川右衛門(=預三代目片岡仁左衛門) 伝四代目 片岡仁左衛門三代目養子、?–1758年二代目藤川三郎延享4年 (1747年) 冬に仁左衛門襲名したと伝わるが、詳細不明。まもなく役者廃業して狂言作者転向し藤川 茶谷ふじかわ さこく)を名乗るその後宝暦5年 (1755年) には役者として舞台復帰したというが、その際名乗り不詳。また伊右衛門名乗ったという。この四代目仁左衛門も実は二代目藤川三郎が「仁左衛門」の名跡を預っていたとする説もある。なお藤谷の高弟に、狂言作者としては師匠よりも大成した藤川山八ふじかわ さんぱち)がいるが、この山八実父谷の養父である藤川右衛門(預三代目仁左衛門)という関係にある。 藤川(または庄松) → 二代目藤川三郎 → 伝四代目片岡仁左衛門委細不詳)→ 藤川茶谷狂言作者転向後) → 不詳舞台復帰後) 預五代目 片岡仁左衛門 四代目養子生没年不詳三代目藤川三郎ふじかわ はんざぶろう)が「仁左衛門」の名跡を預っていたものとして、これを五代目にあてている。 山本七三郎山本三代目藤川三郎(=預五代目片岡仁左衛門) 預六代目 片岡仁左衛門 先代との関係は不明、1731–89年三保木七太郎門弟二代目三保木儀左衛門(みほき ぎざえもん)が「仁左衛門」の名跡を預っていたものとして、これを六代目にあてている。 三保富士松藤松三十郎二代目三保木儀左衛門(=預六代目片岡仁左衛門七代目 片岡仁左衛門 初代淺尾國五郎の弟、1755–1837年。はじめ二代目中村十蔵門人、のちに初代淺尾爲十郎門人二代目仁左衛門早世100年近くわたって事実上絶えていた「片岡仁左衛門」の名跡天明八年 (1788年) に再興し七代目襲名中村松助二代目淺尾國五郎山澤五郎七代目片岡仁左衛門 八代目 片岡仁左衛門 七代目養子、1810–63年。はじめ七代目市川團十郎門人からその養子にまでなったが、後に離縁され二代目嵐璃寛門人に。その後こんどは七代目仁左衛門門人となり、さらにその養子になって大名跡継いだ。 (六代目市川新之助成田屋)→ 三桝五郎成田屋)→ 嵐次郎伊丹屋)→ 初代片岡我當二代目片岡我童八代目片岡仁左衛門九代目 片岡仁左衛門 八代目養子、1839–72年。はじめ四代目三桝大五郎門人、後に二代目片岡我童門人となり、その養子にまでなるが、三十代半ば早世死後36年経た明治40年 (1907年)、十一代目仁左衛門により「九代目仁左衛門」が追贈された。 三桝梅丸京桝屋)→ 二代目片岡松之助片岡我當 → 贈九代目片岡仁左衛門明治40年追贈十代目 片岡仁左衛門 八代目三男、1851–95年意固地負けん気災いして晴れ舞台となるはずの仁左衛門襲名披露興行台無しにしてしまいそのこと気に病んで間もなく悶死死後12年経た明治40年二代目片岡我當に「九代目仁左衛門」が追贈されたことにともないそれまで九代目だったこちらは一代繰り下がって十代目となった初代片岡土之助 → 片岡松若三代目片岡我童九代目片岡仁左衛門十代目片岡仁左衛門明治四十年改) 十一代目 片岡仁左衛門 八代目の四男、1858–1934年松嶋屋お家芸片岡十二集」の撰者自身が「仁左衛門」を襲名する際、二代目片岡我當に「九代目仁左衛門」を追贈し、それまで九代目だった亡き兄を十代目改めて、自身十一代目としてこれを継承した初代片岡秀太郎三代目片岡我當十一代目片岡仁左衛門 十二代片岡仁左衛門 八代目外孫十代目養子、1882–1946年戦後間もない食糧難時代喰い扶持少ないことを恨んだ住み込み門人によって、妻・四男・女中二とともに自宅惨殺された( →「片岡仁左衛門一家殺害事件」を参照)。 片岡東吉 → 二代目片岡土之助 → 四代目片岡我童十二代片岡仁左衛門 十三代目 片岡仁左衛門 戸籍上は十一代目長男、1903–94年実父安田財閥二代目総帥安田善三郎最晩年盲目となりながらも舞台をつとめ、人間国宝に。 片岡千代之助 → 四代目片岡我當十三代目片岡仁左衛門十四代片岡仁左衛門 十二代目の長男、1910–93年仁左衛門代々のなかでは唯一の女形惨殺され十二代仁左衛門長男として、我こそが「十三代目仁左衛門」たるべきとの自覚から、本来は「五代目我童」であるべきところをあえて十三代目片岡我童名乗る女形であるが故に生前果たせなかった「仁左衛門」を、死後まもなく追贈された。 片岡はじめ → 片岡ひとし → 五代目片岡芦燕十三代目片岡我童十四代片岡仁左衛門追贈十五代片岡仁左衛門 十三代目三男1944年– 。当代片岡孝夫十五代片岡仁左衛門 表 話 編 歴 片岡仁左衛門 初代1696?–1715 二代目1716?– 預三代目四代目1747?–48? 預五代目六代目 七代目1788–1837 八代目1857–63九代目 十代目1895 十一代目1907–34 十二代193646 十三代目195194十四代十五代1998– このページ人名人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数記事水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探し人物の記事選んでください。このページリンクしているページ見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えください

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