片岡の功績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 01:02 UTC 版)
片岡はスモカ歯磨のみならず、かつて森永製菓の宣伝部に在籍していた頃、森永キャラメルの広告に、当時人気力士の一人であった横綱、太刀山の手型を取り、そこに「天下無敵 森永ミルクキャラメル」とコピーを書き込むなど、型にはまらない自由な発想で広告を手掛け、今では基本となった広告にエンタテイメント性を持たせた人物として知られている。 その後、入社した壽屋では、赤玉ポートワイン(現・赤玉スイートワイン)の宣伝にあたり、「発売そのものがニュースになる」広告として新聞紙の一頁を切り取り、そこに赤玉ポートワインと書いて、墨汁で丸を入れるという、まるで傍から見ると子供のイタズラと思われてもおかしくないような奇抜な広告を全国紙に掲載したことでも知られる。さらに1922年(大正11年)には、壽屋が当時所有していた赤玉歌劇団のプリマドンナとして名を馳せることになる松島栄美子をモデルに起用した「日本初のヌードポスター」を、同じく壽屋でデザインを担当していた井上木它と共に製作するなど、その精神は、壽屋がサントリーとなった現在でも、企業広告の企画立案に継承されており、功績は計り知れないものがある。 その他、壽屋が1929年(昭和4年)に発売した初の本格ウイスキーとなるサントリー白札の「醒めよ人! すでに舶来妄信の時代は去れり 酔はずや人! 我に国産至高の美酒 サントリーウヰスキーはあり!」との発売広告や、その翌年に発売されたオラガビールの広告「出たオラガビール 飲めオラガビール」のコピーならびに企画立案を担当するなどしている。 なお、これらの仕事の一端は『片岡敏郎スモカ広告全集』(マドラ出版)で窺い知る事ができる。
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