片山良庵
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片山 良庵(かたやま りょうあん、1601年(慶長6年) - 1668年(寛文8年))は江戸時代前期の軍学者、医師。 越前福井藩士、のち、越前松岡藩士。諱は三盛。一説には直竒(寄)ともいう[1]。秋扇と号した。
- ^ 漢籍の4分類。経部(経書)、史部(史書)、子部(諸子)、集部(詩文集)を指す。
- ^ この病について、『越前人物志 上』466頁は「瘧」とし、『続片聾記 中』579頁は「疱」とする。
- ^ 一方で、『越前人物志 上』466頁には「父を片山正盛と云」と、父の代から片山姓であったと読める記載がある。
- ^ 松平忠昌は、信州松代藩→越後高田藩→福井藩の順で移封されている。
- ^ なお、越前福井藩下屋敷は、現在の墨田区役所がある隅田川のほとりにあり[1]、下屋敷ながら藩士が居住する長屋があったという[2]。
- ^ 『高名穿鑿帳』3/21コマ右頁に、「寛永十有七之年春」付けで「沙弥 片山秋扇書」とあるため、剃髪は寛政17年春以前。
- ^ 当時の名乗りは昌明。
- ^ 小説とは、ノベルではなく国史・正史に対する稗史の意。
- ^ 大星は日神の尊称。日神信仰が軍配に結びついたもので、小幡景憲が甲州流大星伝としてまとめ、甲州流、北条流、山鹿流をはじめ軍学の各流派において秘伝とされていた。北条氏長も、天照大神の日徳の奉戴が必勝の途であるなどとし、その兵法極意を「大星伝」としていた(『日本武学史』200-203頁)。
- ^ 『続片聾記 中』579頁には、良庵に関する記載と、その子栄庵に関する記載の間に、「忠昌公御代左馬助三百石」との記載がある。
- ^ 元禄3年(1691年)、さらに50石加増されている(『続片聾記 下』548頁〔続片聾記 巻十〕)。
- ^ 享保6年(1721年)、松岡藩は、藩主の松平宗昌が福井本藩を継いだことで、本藩に併合され廃藩となったが、その後の旧松岡藩士屋敷の福井への引移しは、享保11年(1726年)、当時目付であった片山彌五右衛門らに命じられた(『吉田郡誌』466頁)。
- ^ この学統の系譜は次のとおり。片山良庵 ― 二木守良 ― 二木守全 ― 二木守晨 ― 楢林備英 ― 西尾親庸 ― 吉川敬明(『富山藩武術ニ関スル記録』による)。
- ^ この学統の系譜は次のとおり。片山良庵 ― 真柄安勝 ― 小倉実重 ― 秋原正族 ― 木村正敬 ― 九里成照 ― 名児耶根麻 ― 秋原政勝 ― 秋原政甫 ― 九里成誉 ― 高野常道(『日本兵法史』424頁〔長岡市個人蔵『伝統之巻』による〕)。
- ^ 富山県立図書館サイト内の古絵図・貴重書ギャラリー > 貴重書・古絵図紹介にある『富山藩武術ニ関スル記録』56/61コマ左頁,58/61コマ右頁、渋谷孝本『諸芸雑志』巻九 71/128コマ右頁,74/128コマ右頁はいずれも「直竒」。筑波大学附属図書館所蔵の『古戦場夜話』81/81コマには「直竒」に「ナヲヨリ」の振り仮名。古戦塲夜話 - CiNiiは「直寄」と記載。
- ^ 『日本人名大辞典』500頁、『若越墓碑めぐり』4頁
- ^ a b c d 『越前人物志 上』466頁、『三百藩家臣人名事典 第3巻』305頁
- ^ 『越前人物志 上』466頁、『続片聾記 中』579頁
- ^ a b 『続片聾記 中』579頁、『越前人物志 上』466頁、『三百藩家臣人名事典 第3巻』305頁
- ^ 『富山藩武術ニ関スル記録』56/61コマ左頁、57/61コマ右頁
- ^ 『富山藩武術ニ関スル記録』57/61コマ左頁
- ^ a b c 『一騎武者受用巻講義』3/52コマ右頁 - 福井市立図書館 越国文庫コレクション(同書が、原著者の北条氏長より、改訂した良庵やその門人を経て伝来した経緯を説明する中で、良庵の略歴に触れる)
- ^ 『越前人物志 上』466-467頁、『三百藩家臣人名事典 第3巻』305頁、『一騎武者受用巻講義』3/52コマ右頁
- ^ 『国書解題』710頁、『富山藩武術ニ関スル記録』56/61コマ左頁
- ^ a b c d 『越前人物志 上』467頁、『三百藩家臣人名事典 第3巻』305頁
- ^ a b c d 『越前人物志 上』467頁
- ^ a b c 『国書解題』710頁
- ^ 『越前人物志 上』467頁、『三百藩家臣人名事典 第3巻』305頁、『藩史大事典 第3巻』258頁
- ^ 『越前人物志 上』467頁、『一騎武者受用巻講義』3/52コマ右頁、『三百藩家臣人名事典 第3巻』305頁、『藩史大事典 第3巻』258頁、『続片聾記 下』19-20頁
- ^ a b c 『藩史大事典 第3巻』258頁、『角川日本地名大辞典 18 福井県』1056頁、『福井県の地名』221頁
- ^ a b c 『越前人物志 上』467頁、『三百藩家臣人名事典 第3巻』305頁
- ^ “まつおかまちあるき絵図”. 永平寺町. 2020年11月16日閲覧。
- ^ 『吉田郡誌』466頁、『続片聾記7巻』8/446コマ - 福井市立郷土歴史博物館デジタルアーカイブ
- ^ 『国史大辞典 第13巻』99頁、『越前国名蹟考 巻4-7』683頁
- ^ 『藩史大事典 第3巻』258頁、『角川日本地名大辞典 18 福井県』1056頁
- ^ 『若越墓碑めぐり』4頁
- ^ a b 『可観小説前編』71頁
- ^ 『越藩史略 巻之4-8』139頁
- ^ a b c 『越前人物志 上』467頁、『続片聾記 中』579頁〔続片聾記 巻七〕
- ^ 『越前人物志 上』426-427頁
- ^ a b 『越前人物志 上』467頁、『続片聾記 中』579頁〔続片聾記 巻七〕、『続片聾記 下』548頁〔続片聾記 巻十〕
- ^ 『越藩史略 巻之1-3』71頁
- ^ 『金沢古蹟志』28巻24-25頁
- ^ 『日本兵法史 上』423-424頁、434-436頁
- ^ 高名穿鑿帳 : 1640|書誌詳細|国立国会図書館サーチ、『日本兵法史 上』423-424頁
- ^ a b 高名穿鑿帳 : 1640|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
- ^ 『越前人物志 上』501頁
- ^ 『越前人物志 上』499-500頁、『福井藩士履歴1』19頁
- ^ 『国書解題』210頁
- ^ 南越雑話 - 国文学研究資料館 2018年6月5日閲覧。
- ^ 『越前人物志 上』499-502頁、『三百藩家臣人名事典 第3巻』297頁
- ^ 『富山藩武術ニ関スル記録』57/61コマ左頁、『諸芸雑志』巻九73/128コマ右頁
- ^ 『富山藩武術ニ関スル記録』57/61コマ左頁、『日本兵法史 上』424頁、『越中史料 巻之二』531頁
- ^ 『三百藩家臣人名事典 第3巻』170頁、『富山藩武術ニ関スル記録』57/61コマ左頁、『日本兵法史 上』423-424頁、『富山県の教育史』89頁
- ^ 『越中史料 巻之二』531頁
- ^ 『日本兵法史 上』423-424頁
- ^ 『由利公正傳』4頁、附録13頁
- ^ 『由利公正傳』3-4頁
- ^ 『由利公正傳』4-5頁、附録13頁
- ^ 『由利公正傳』5頁
- ^ 『補訂版 国書総目録 3』477頁、古戦場夜話 (写)|書誌詳細|国立国会図書館サーチ、国立公文書館 デジタルアーカイブ、検索結果詳細>古戦場夜話 - 筑波大学附属図書館、国立博物館所蔵品統合検索システム、片山良庵 - 国文学研究資料館
- ^ 「福井図書館主催第二回郷土資料展覧会出品目録」『郷土資料展覧会出品目録』29頁
- ^ 『補訂版 国書総目録 3』302頁
- ^ 『補訂版 国書総目録 1』247頁、国立公文書館 デジタルアーカイブ
- ^ 『続史籍集覧 第10冊』108頁、『国書解題』110頁
- ^ 加越能文庫解説目録下巻442頁(PDF456頁)
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