無名と福音主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 06:30 UTC 版)
「マーシャル・アップルホワイト」の記事における「無名と福音主義」の解説
1980年代後半において、教団の存在はあまり目立ったものではなく、教団の存続を知っている人間もわずかだった。1988年、教団は様々なニューエイジの団体に、彼らの信仰の詳細を記載した書類を送付した。この郵便には、彼らの歴史に関する情報や、人々に対して読むべき本をアドバイスする様な内容が含まれていた。この時挙げられたのは、キリスト教の歴史に関する本や、UFOに関する本であった。1988年の書類は例外であり、アップルホワイトの教団は1992年まで目立たなかった。この時、彼らは衛星放送を通じて放送された12編のビデオシリーズを録画していた。このシリーズは、1988年の教義の改訂に多くの影響を与えた一方で、聴き手が参加できる「普遍的な心」を導入した。 教団の存続の過程において、数百人の人々が入信や脱退をしている。1990年代初頭から教団の信者数は徐々に減少し、26人程度にまでなっていた。この信者の脱退は、アップルホワイトに強迫観念を植え付けた。1993年5月、教団は自身の名前を「トータル・オーヴァーカマーズ・アノニマス (Total Overcomers Anonymous)」とした。教団は30,000ドルをかけて、USAトゥデイに1ページ全体を使った広告を掲載した。この広告では、地球に降りかかる悲劇的な審判について警告しており、この広告を通じて元信者約20人が教団に再入信している。この広告に加え、1994年には一連の説諭が公開され、信者数は最低だった90年代前半の約2倍の数に増えた。この時点におけるアップルホワイトは、弟子たちの生活を彼ほど厳格なものにさせず、彼らと共に過ごす時間も減らしていた。 また、1990年代初頭、アップルホワイトはインターネットに自身の教えについて投稿したところ、批判的な回答が寄せられ、彼の心は傷つけられた。この年、彼はネクスト・レヴェルに達するための手法としての自殺に初めて言及した。彼は、昇天する前に、人体を含む「人」の全ては、見捨てられなければならないと説明した。またこの頃、教団は名前をヘヴンズ・ゲート (Heaven's Gate)に変更している。デイヴィスは、この拒絶が彼を地球から離脱するように試みる様、後押しをしたと推測している。 1995年6月から10月の間、教団はニューメキシコ州の片田舎に滞在した。彼らは、40エーカー (0.16km2)の土地を購入し、タイヤや材木を使って塀に囲まれた住居を建設した。この建物を彼らは「アース・シップ (Earth ship)」と呼んでいた。アップルホワイトは修道院の設立を望んでいたが、高齢のため断念した。体調を崩した彼は、時には癌への恐怖も見せていた。リフトンは、アップルホワイトの教団における活発な指導力は、おそらく彼の最後の年には激しい疲労へと繋がったと記している。この年の冬は非常に寒く、彼らはこの計画を放棄した。その後、彼らはサンディエゴ地区の複数の家に分かれて居住することになった。 教団は、ますます性的衝動の抑圧に力を入れる様になった。アップルホワイトと7人の信者は去勢手術を行うことを決断した。彼らは当初、手術を受けてくれる外科医を探すことに苦労したが、遂にメキシコで手術を行ってくれる外科医を発見した。アップルホワイトの思想では、性別とは、人類を彼らの肉体に結び付ける最も強い力の一つであり、そのためネクスト・レヴェルへと進化するための彼らの努力を妨害しているというものであった。そのため、彼はネクスト・レヴェルにある生命体は生殖器を持たず、一方でルシフェリアンの生物には性別があると考えていた。彼はまた、新約聖書の一節について、天国に結婚はないと示していると指摘している。加えて、彼は信者達に同じような服、髪形を受け入れる様に要求し、恐らくは彼らが性別を持たないファミリーとなることを推進した。
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