漢文訓読における熟語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 14:52 UTC 版)
「熟語 (漢字)」の記事における「漢文訓読における熟語」の解説
「漢文訓読」も参照 漢文を日本語の文法や語彙に直訳して解釈する方法である漢文訓読の際、熟語は複数の漢字を一つの単語として読む部分のことを指し、「如何(いかん)」「所謂(いはゆる)」などの熟字訓を除けば通常音読みされる。 例として、李白の『静夜思』を挙げる。文中の下線部が熟語である。 『静夜思』原文書き下し牀前看月光 牀前(しやうぜん)月光(げつくわう)を看(み)る 疑是地上霜 疑(うたが)ふらくや是(こ) れ地上(ちしやう)の霜(しも)かと 挙頭望山月 頭(かうべ)を挙(あ)げて山月(さんげつ)を 望(のぞ)む 低頭思故郷 頭(かうべ)を低(た)れ故郷(こきやう)を思(おも)ふ ところで漢字は表語性が非常に高く、原則的に1字が1語を表現するものと解釈でき、殊に古典中国語である漢文においてはこの傾向が強い。したがって例中で挙げた「牀前」、「月光」、「地上」、「山月」、「故郷」の各熟語も漢文訓読の規則に従えばそれぞれ「牀 (とこ)の前(まへ)」、「月(つき)の光(ひかり)」、「地(つち)の上(うへ)」、「山(やま) と月(つき)と」、「故(ふる)き郷(さと)」のように、1字ずつ日本語(大和言葉)の表現に逐語訳することが可能である。 しかし、このような過度な逐語訳は訳文として冗長であり表現として不自然になることが多い。また、漢字同士が強く結合し一種の慣用表現(イディオム)をなす場合、逐語訳によって元の文の意味が不透明になることもある。例えば上記の「牀前」は実際には「就寝する前に」という意味であるのだが、これを「とこのまへ」という逐語訳から想起するのは困難である。 以上のように訓読があまり意味をなさない箇所を適宜熟語として対処することは、漢文を解釈する上で有利にはたらくのである。 歴史的には、漢文が日本に流入しはじめた上代から平安初期においては、訓読にも工夫を凝らし、できるかぎり日本語の文章として自然なものとする努力が行われていたようである。しかし、時代を経るにつれて訓読が機械的かつ還元的なものになり、訓読文における漢熟語の割合も増加していったという。これは儒学などの中華思想が日本において地位を得るにつれて、平易で非分類的な大和言葉に噛み砕かれた訓読文では、漢文を正確に解釈する際の支障となると考える者が増えていったからという見方がある。 なお、実質的な意味を持たず単に語調を整えるのみの字などが積極的に表記されるようになった近世以降の白話やこれを踏襲した現代中国語が、訓読されることはほとんどない。仮にこれらを機械的に訓読した場合、見慣れない熟語が多くなり、かえって煩雑な文になるからである。
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