漢方との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 16:11 UTC 版)
漢方に傾倒したきっかけは、昭和2年(1927年)刊行の『漢方医学の新研究』(中山忠直)であった。本書には後に師事する湯本求真の他、当時の漢方医家として木村博昭、中野康章らのことが 紹介されていた。さらに、湯本求真の『皇漢医学』が昭和2年(1927年)から3年(1928年)にかけて順次刊行され、敬節はこれを熱心に熟読した。『皇漢医学』は1,000ページを越える大書であったため敬節もなかなか覚えられず、重要な部分を抜き出したノートを作って覚えた。このノートをもとに後に『類証鑑別皇漢医学要訣』(昭和7年、(1932年))を刊行する。
※この「漢方との出会い」の解説は、「大塚敬節」の解説の一部です。
「漢方との出会い」を含む「大塚敬節」の記事については、「大塚敬節」の概要を参照ください。
- 漢方との出会いのページへのリンク