湯浅克衛
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湯浅 克衛(ゆあさ かつえ、1910年2月26日 - 1982年3月15日)は、日本の小説家。
香川県生まれ。本名・猛。小中学校時代を朝鮮で過ごし、第一早稲田高等学院中退。1934年に「カンナニ」が『改造』懸賞小説の佳作となり、1935年に作家デビュー[1]。1936年、本庄陸男、平林彪吾、田辺耕一郎、伊藤整、井上友一郎らと第二次『現実』を創刊、ついで武田麟太郎、高見順らの『人民文庫』に加わりプロレタリア文学に傾く。その後植民地小説を書き、戦後はブラジル移民を主題とした。京城中学校時代の同級生に中島敦がいる[1]。
著書
- 移民 版画荘 1937 (版画荘文庫)
- 先駆移民 新潮社 1939
- 莨 赤塚書房 1939
- 葉山桃子 新潮社 1939 (土の文学叢書)
- 青い上衣 昭和書房 1940
- 怒濤の譜 河出書房 1940
- 遥かなる地平 東亜公論社 1940
- 半島の朝 三教書院 1942
- 民族の緯糸 育生社弘道閣 1942 (新世代叢書)
- 青空何処まで 東亜公論社 1942
- 二つなき太陽のもとに 地平社 1942
- 新生 山根書房 1943
- 白系露人村 金星堂 1944
- 鴨緑江 晴南社 1944
- カンナニ 大日本雄弁会講談社 1946
- 初恋 世界社 1947
- 舞姫記 崔承喜の半生 文明社出版部 1947
- 連翹 青年論壇社 1947
- 三平物語 万有社 1948
- トルストイ 人間愛の文豪 偕成社 1952 (偉人物語文庫)
- 対馬 出版東京 1952
- アマゾンの国ブラジル 東西文明社 1956 (少年少女基本学校図書全集)
- ラテン・アメリカへの招待 中南米移住読本 日本週報社 1958
- 南米への旅 雪華社 1961
- カンナニ 湯浅克衛植民地小説集 池田浩士編 インパクト出版会 1995.3
脚注
出典
参考文献
- 日本近代文学大事典
- 渡邊一民『中島敦論』みすず書房、2005年3月。ISBN 978-4622071358。
関連項目
外部リンク
- 早稲田と文学(湯浅克衛) - ウェイバックマシン(2009年6月20日アーカイブ分) - 早稲田大学
湯浅克衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 04:59 UTC 版)
小説家。京城中学校時代の同級生。当時、湯浅の父親は朝鮮の警察署に勤務し、一家は水原に住んでいた。そのため、湯浅の綽名は「水原豚」(スイゲン・ピッグ)だった。湯浅の回想「敦と私」(ツシタラ 第三輯 1960年6月)の中で、自身が数学の授業中に急進的な総合雑誌『改造』を読んで停学を言い渡された際、級長の中島敦が教員室に飛び込んできて、「水原豚を処罰してはいけません。『改造』を読んでいたからと云って処罰したら、天下の京中の名誉にかかわります」と仲裁してくれたおかげで、停学処分が免れて図書館監禁という軽い罰で済んだ話を語っている。京城中学校以後は2人の間に交流はなかったという。湯浅は1934年(昭和9年)に、朝鮮貴族邸の請願巡査の息子(12歳の日本人少年)と、その邸の門番の娘・カンナニ(14歳の朝鮮人少女)の純愛を描いた植民地小説「カンナニ」を『改造』懸賞小説に応募し佳作となったが、雑誌側が検閲をおそれ、後半を削除した上で翌年の『文学評論』に掲載された。戦後湯浅に会った同級生によると、中島の話となったとき湯浅は、「もっと早く俺のところに来ておれば」と言っていたという。
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