清水動閑の流れとは? わかりやすく解説

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清水動閑の流れ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 10:14 UTC 版)

石州流」の記事における「清水動閑の流れ」の解説

清水動閑(1614年 - 1691年)は、仙台藩伊達政宗茶道頭をつとめた清水道閑の孫にあたり茶道頭を世襲して道閑・道漢と名乗ったあと、仙台藩4代藩主伊達綱村より動閑と名付けられた。動閑は綱の命により石州入門し相伝受けて仙台戻った。この流れを汲む流派一般に清水派と称する。 動閑は弟子馬場道斎1662年 - 1737年)を改姓させ、3世清水道竿として茶道頭を継がせた。道竿は綱の命により、石州高弟でもあった松浦鎮信藤林宗源にも伝授受けている。以来代々茶道頭として仙台藩仕え維新後伝承されている。一方で動閑の実子である清水快閑(1651年 - 1716年)は医業生業としていたが、その後代々伊達家奥向き茶道務めて、現在は石州清水流として伝承されている。すなわち、藩の公式な茶湯については道竿家が務め、快閑家の代々は道竿家より伝授受けた上で奥向き茶湯務めてきた。 これらの経緯から、現在でも宮城県中心とする旧仙台藩領内では清水派の茶道教室多く東北放送カルチャーセンターでは千家裏千家清水派に加え清水派と関わりが深い大日本茶道学会講座開いている。また伊達政宗命日である5月24日瑞鳳殿献茶式を行う他、仙台・青葉まつりでの茶会など伊達家関わりのあるイベント参加している。 清水道竿家は仙台藩茶道頭として、参勤交代の折には江戸詰めになり、そのため旗本諸藩にも清水派が伝播することになった3世清水道竿門下斎藤頼母1670年 - 1716年)は5000石の旗本で、現在各地清水派に連なる要の人物である。高松藩では5代藩主松平頼恭の頃に、斎藤頼母学んだ片山左衛門によって清水派がもたらされ明治期になってさらに群馬伝わった土佐藩でも8代藩主山内豊敷時期斎藤頼母学んだ高畠小平次によってもたらされ流れと、6世清水道門下中川道茂に学んだの上為山による流れとが合流して現代伝わっている。これはさらに明治期になって広島次いで東京熊本伝わった一方水戸藩では、6代藩主徳川治保時期4世清水道簡に学んだ田中素白によって清水派がもたらされ鎮信流流入しながら現代伝わっている。 他に、東京3世清水道竿門下谷村三育を初代として、幕府数奇屋組頭代々世襲谷村家伝承された嘉順派が伝わっている。9代家元森田嘉順は23年2月元職辞任し、現在は流儀事務連絡所一括取扱代行する特異なものとしては、はじめ古石州流、その後清水派の野崎兎園学んだ浅田宗恭の流れや、その門人井澤宗達1891年 - 1972年)の流れなども清水派から派生したものと言える。特に井澤宗達流れ片桐宗家伝えられている。

※この「清水動閑の流れ」の解説は、「石州流」の解説の一部です。
「清水動閑の流れ」を含む「石州流」の記事については、「石州流」の概要を参照ください。

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