海軍基地として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 15:13 UTC 版)
「キングズベイ海軍潜水艦基地」の記事における「海軍基地として」の解説
キングズベイにおけるハイテンポな潜水艦作戦と当地における数千エーカーの土地を作り変える複雑な建設プロジェクトにいたる一連の出来事は1975年に始まった。 当時、アメリカとスペインとの条約交渉が進行中だった。アメリカ海軍基地設置に関するスペインとの協定に提案された変更点には、弾道ミサイル潜水艦部隊・第16潜水戦隊の作戦基地である、ジブラルタルの北西にあり、大西洋への容易なアクセスをもたらすロタ海軍基地からの撤退が含まれていた。 ロタからの撤退が決定したときに備えて、海軍作戦部長は東海岸に新しい基地を選択するための調査を命じた。1976年1月、交渉官はスペインと米国の間で条約草案を作成した。そこでは1979年7月までにロタから潜水艦戦隊が撤退することが要求されていた。米国上院は1976年6月に条約を批准した。 慎重な検討の後、ジミー・カーターが大統領に選出されて間もない1976年11月にキングズベイが選定された。その後まもなく、最初の海軍の要員がキングズベイに着任し、陸軍から海軍への資産の秩序ある移転のための準備を開始した。キングズベイ海軍潜水艦支援基地は、1978年7月1日、開発状態で設立された。この基地(キングズベイ海軍潜水艦基地)は以前の陸軍の用地だけでなく、追加で数千エーカーの用地をも占めている。 潜水艦戦隊の到着にそなえての準備は、1978年の残りから1979年にかけて急速に進められた。第16潜水戦隊司令官は、潜水母艦サイモン・レイク(USS Simon Lake, AS-33)が1979年7月2日にキングズベイに入港したときに着任した。4日後、ジェームズ・モンロー(USS James Monroe, SSBN-622)がキングズベイに入港し、サイモン・レイクの舷側に停泊して次の戦略抑止哨戒にそなえて定期修理を開始した。キングズベイはそれ以来、潜水艦基地として活動してきた。 1979年5月、海軍は、キングズベイを新しいオハイオ級弾道ミサイル原子力潜水艦の東海岸における優先的な基地として選定した。1980年10月23日、1年間にわたる環境影響評価の完了および議会の承認後、海軍長官は、キングズベイが、新しいトライデント搭載潜水艦(オハイオ級のこと)の大西洋岸における将来の母港となることを宣言した。 キングズベイをトライデント搭載潜水艦の基地とする決定により、平時における米海軍で最大級の建設プロジェクトが開始された。プログラムには9年の歳月と13億ドルの予算を要した。建設プロジェクトには次の3つの主要コマンドが含まれている:トライデント訓練施設、トライデント補修施設、大西洋戦略兵器施設。 1989年1月15日、テネシー(USS Tennessee,SSBN-734)がキングズベイに入港した。同年にペンシルベニア(USS|Pennsylvania,SSBN-735)が続いた。1990年10月にはウェストバージニア(USS West Virginia,SSBN-736)がキングズベイで就役し、これにケンタッキー(USS Kentucky,SSBN-737)が1991年7月に続いた。以後、1992年6月にメリーランド(USS Maryland,SSBN-738)、1993年7月にネブラスカ、1994年7月にロードアイランド(USS Rhode Island,SSBN-740)、1995年8月にメイン(USS Maine,SSBN-741)、1996年7月にワイオミング(USS Wyoming,SSBN-742)が引き続いて就役した。1997年9月のルイジアナ(USS Louisiana,SSBN-743)の就役により10隻のトライデント潜水艦がキングズベイに配備された。これら10隻はいずれもオハイオ級の後期建造艦で、トライデントD5・ミサイルの搭載艦である。これに対し、トライデントC4・ミサイルを搭載した前期建造艦8隻はすべて太平洋岸に配備されている。 キングズベイのすべての司令部による莫大な建設と組織化の努力は、トライデントII(D-5)ミサイルを搭載したテネシーが最初の戦略抑止哨戒を行った1990年3月下旬に最初の目標に到達した。
※この「海軍基地として」の解説は、「キングズベイ海軍潜水艦基地」の解説の一部です。
「海軍基地として」を含む「キングズベイ海軍潜水艦基地」の記事については、「キングズベイ海軍潜水艦基地」の概要を参照ください。
- 海軍基地としてのページへのリンク