海外技術の採用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:38 UTC 版)
「J-10 (航空機)」の記事における「海外技術の採用」の解説
1980年代に入ると、アメリカ合衆国は在日米軍や在韓米軍の基地にF-16の配備を進めるほか、太平洋に展開する航空母艦にF/A-18の配備を進めた。ソビエト連邦はSu-27やMiG-29を実用化し、中国が併呑を狙う台湾を防衛する中華民国空軍はF-CK-1の開発を進めた。日本の航空自衛隊はF-15Jを200機にまで増強を始めるなど、中華人民共和国周辺の仮想敵国では第4世代戦闘機の配備や戦力増強が進み、以前より質的劣勢を数で補っていた中華人民共和国の空軍戦力はより見劣りのするものとなっていった。 中華人民共和国周辺の仮想敵国に配備される機体に対抗できる性能を持つ国産戦闘機を入手するため、1986年から改めてカナード付き無尾翼デルタを持ち、安定性を低下させて敏捷性を高めるという基本方針に基づいた国産戦闘機開発計画を開始したものの、新世代のアビオニクスや高性能エンジンの搭載が必須となり、海外技術の導入か国産技術の飛躍的発展を必要とすることになった。これに対して、本機のアビオニクス及びエンジンの搭載状況の推移通り、海外技術導入による実用化後に国産化率の向上を図ることとして、まずは西側からエンジンとアビオニクスを入手する見込みで計画を進めたと見られる。 ところが、西側からの技術導入を前提としていたため、1989年に起こった天安門事件を契機としたアメリカをはじめとする西側諸国の対中政策見直しによる武器輸出規制により計画は失敗の危機に瀕した。結局、ソビエト連邦の崩壊後に関係を改善したロシア連邦から入手したAL-31Fターボファン・エンジンやアビオニクスを搭載することで実現に至ったが、当初、旧ソ連の新鋭戦闘機にも対抗すべく計画が始まったJ-10にとっては何とも皮肉な経緯となった。
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