浅野家と親族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:36 UTC 版)
広島県生まれの祖母・浅野イチ子(1911年[明治44年]- 2004年[平成16年])は、芸者の置屋を営む父(忠信の曾祖父)を持ち、自身も若い頃は芸者であった。生後まもなく、父に従って満州国大連市に移住したイチ子は、24歳のとき、南満州鉄道(満鉄)の社員(特急「あじあ」食堂車給仕長)で福岡県出身の廣松定(ひろまつ さだむ)と結婚した。当時の満鉄は社員待遇の良さで知られており、イチ子らは何不自由の無い暮らしを送ったが、8年あまりのちに離婚している。ふたりの間に子はいなかった。離婚したとき、イチ子の父はすでに他界し、母は再婚して別家庭を持っていたため、戻るべき家庭は無くなっていた。満州から引き揚げるも故郷・広島は原爆で壊滅していたため、仕事を求めて上京し、横浜市にてアメリカ駐留軍横浜司令部勤務の料理兵・ウィラード・オバリング(1926年- 1992年4月)に彼の友人を通じて紹介され、交際するようになった。このとき、ウィラードは23歳、イチ子は38歳であった。やがてふたりは結婚し、朝鮮戦争のためにウィラードが日本を離れて出動している最中の1950年(昭和25年)9月23日、忠信の母・順子が誕生する。 なお、忠信の祖母・イチ子は夫ウィラードの話を忠信らにほとんど語って聴かせなかったし、忠信の母・順子も父ウィラードと4歳のときに別れ、以来一度も会うことが無かった。忠信はそのような母による断片的な話と数枚の写真でしか祖父を知らず、過去に自力で調べはしたものの、詳細については全く分からずにいたと言うが、NHKの番組『ファミリーヒストリー』の取材班によって2011年(平成23年)5月より始まった綿密な調査の結果、曽祖父母にまで遡る詳細が明らかとなった。ウィラードは帰国後、横浜配属前の旧配属地であるフォートノックス基地(ケンタッキー州フォートノックス(英語版)にある陸軍基地)に再び着任し、その4年後、当地で知り合った2児を持つ4歳年上のアメリカ人女性ジーン・ウィートと再婚したが、新たに子は設けず、実子は順子だけであった。『ファミリーヒストリー』の取材に応じてウィラードの遺品を家族(ウィート家)が整理した際、亡くなる直前まで持ち歩いていた財布の中から生き別れた4歳当時の順子のポートレート1枚が見つかっている。忠信は、祖父の人生を通じて、貧しい開拓民の話や1929年に始まった世界恐慌などアメリカ合衆国における過去の歴史も身近なものと感じることができるようになった自身の変化を語り、今後の演技(特にアメリカにおける仕事)にも活かせるのではないかとして、番組を締めた。
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