派遣された自衛官の被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 10:01 UTC 版)
1966年に発生した全日空羽田沖墜落事故では、遺体捜索中の海上保安庁のヘリコプターが墜落し3人が死亡する二次災害が発生するなど、派遣された自衛官などが様々な被害を受けることも多い。2010年に宮崎県で発生した口蹄疫問題でも、災害派遣された隊員が消毒用の消石灰で目や腕の皮膚等に炎症を起こす事例も発生している。 また、PTSDなどの症状を発症せずとも、軽い不眠や精神不安定といったものは多々ある。これに対して、自衛隊内でもカウンセリングなどの必要な対策がなされている。 2011年の東日本大震災では、福島第一原子力発電所事故で、上空からの観測や消火復旧に当たっていた隊員等が軽度の放射線被曝をしている他、2人が復旧・捜索活動のさなかに過労死した。 なお、上記以外にも過去災害派遣中の殉職事故も発生しており、特に航空機での輸送中が多い。 1957年、諫早水害の際、植え替え用の苗輸送で、隊員が深夜に交通事故を起こして死亡した。 1962年9月3日、鹿児島県奄美大島への緊急血液空輸中の海上自衛隊のP2V対潜哨戒機が山に衝突して、乗員の海上自衛官12名と地上の一般市民1名合わせて13名が死亡した。2017年現在、災害派遣における最大の事故である。 1990年2月17日、沖縄県宮古島近海で急患輸送任務についていた第101飛行隊のLR-1連絡機が遭難し、添乗勤務の民間医師と乗員の陸上自衛官4名が行方不明となった。 1994年12月2日、北海道奥尻島に急患輸送任務で向かう途中の千歳救難隊のUH-60Jが山に墜落し、航空自衛官4名が死亡した。 2007年3月30日、徳之島山中に急患輸送任務についていた第101飛行隊のCH-47JAヘリが墜落し、陸上自衛官4名が死亡した。 2017年5月15日、急患輸送任務に向かう途中の北部方面航空隊のLR-2連絡機が墜落し、陸上自衛官4名が死亡した。
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