殉職事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 01:40 UTC 版)
1963年(昭和38年)3月16日 芦屋救難分遣隊のH-21双発ヘリが北陸豪雪出動後の帰途で、香川県三豊郡詫間町で墜落、乗員10名が死亡した。 1970年(昭和45年)9月 2日 新田原基地の新田原救難隊機(MU-2S)が滋賀県彦根市で、小松基地への航行訓練中に墜落し、乗員4名が死亡した。 1973年(昭和48年)4月11日 新田原救難隊機(MU-2S)が宮崎県の尾鈴山で訓練飛行中に墜落、乗員4名が死亡した。 1994年(平成6年)10月19日 秋田分屯基地の秋田救難隊機(MU-2A)が遠州灘で整備試験飛行中に墜落し、乗員2名が死亡した。 1994年(平成6年)12月2日 千歳救難隊のUH-60Jが北海道の奥尻島に急患輸送任務で向かう途中で墜落、乗員4名が死亡した。 2005年(平成17年)4月14日 新潟分屯基地の新潟救難隊機(MU-2A)が訓練中に墜落し、乗員4名が死亡した。このため同年7月末まで全機が運用停止となった。 2017年(平成29年)10月17日 浜松基地のUH-60Jが夜間捜索訓練のために南に31Kmほど行ったところでレーダーから消え通信が途絶えてしまった。後、同年の12月13日に救難活動を打ち切った。殉職者3名、行方不明1名。
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