派遣の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 01:32 UTC 版)
記録に残っている中であや船が派遣された最も古い例は、1481年に足利義尚の将軍就任を祝賀する目的で派遣されたと考えられているものである。その後南九州が戦乱で混乱に陥ると(三国大乱)一時通交は中断される。混乱が収束すると通交が再開され、1559年に島津貴久へあや船が派遣された。その際、琉球は那覇港に入港する薩摩船を島津貴久から正式に認可されているか否で違法な不審船を峻別するために臨時的に琉球渡海朱印状(印判)を発行することを島津氏に対して求めた(明からの冊封使が来るにあたって琉球は明との貿易のために外国商船を那覇港の治安を維持する必要があった)。こうして島津氏の朱印状(印判制度)が琉球に対して適用されることになったが、これは冊封使が来流するにあたっての臨時的措置に過ぎなかった。
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