派遣の背景
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1950年6月25日に始まった朝鮮戦争は当初、朝鮮人民軍が優勢であったが、アメリカ軍を主体とした国連軍の仁川上陸作戦により形勢は逆転し、国連軍は平壌を占領、一部部隊は鴨緑江の線に達した。1949年に成立したばかりの中華人民共和国は当初介入に否定的だったが、国連軍の接近のために参戦を決意する。しかし、中ソ友好同盟相互援助条約を結んでいたソ連と中国は米国との全面戦争(第三次世界大戦)によって朝鮮半島を超えてソ連や中国の領土まで戦線拡大で巻き込まれることを回避するため、参戦部隊は事実上の国軍である中国人民解放軍ではなく、表向きは義勇兵であるとして、「人民志願軍」と命名した。 1950年7月7日、周恩来が招集した国防軍事会議において、東北辺防軍の創設が決定され、人民解放軍の正規部隊である第13兵団(第38、第39、第40)、および第42軍、等を抽出し編成した。同年10月8日、毛沢東中央軍事委員会主席による「中国人民志願軍の設立に関する命令」が発布され、辺防軍は中国人民志願軍に改編され、彭徳懐が司令員兼政治委員に任命された。 当初前線に投入された部隊だけでも20万人、後方待機部隊を含めると100万人に達した。旧間島(現・吉林省延辺朝鮮族自治州)の朝鮮人部隊も多数含まれていた。
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