派米訓練とレンジャー研究課程
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「レンジャー (陸上自衛隊)」の記事における「派米訓練とレンジャー研究課程」の解説
草創期の陸上自衛隊では、教育課程のほとんどでアメリカ陸軍を手本としてきた。そして1955年9月、最難関のレンジャー課程を習得すべく、陸上幕僚監部第五部長(後の教育訓練部)高山信武陸将補の特命を受けて、柴田繁1尉(陸士59期)および首藤愛明2尉(陸士61期)の2名が渡米した。両名はフォート・ベニングの陸軍歩兵学校の幹部中級コースを経て、1956年2月27日よりレンジャー課程 (Ranger School) に入校した。陸自の乏しい外貨から派遣予算を捻出したために、レンジャー課程で求められる厳格な被服・散髪の規定を守るために苦労が伴ったが、両名とも首尾よく課程を修了した。当時のレンジャー課程は平均年齢22歳であったのに対し、柴田1尉は30歳、首藤2尉は29歳と最年長組であったにも関わらず、過酷な課程を完遂したことから、卒業式では最前列の席が与えられ、学校長も祝辞で特に言及し、「日本に帰ったら立派なレンジャーを育ててほしい」と激励した。 1956年5月、レンジャー徽章を与えられて帰国した柴田1尉・首藤2尉に対し、高山陸将補は、陸上自衛隊富士学校共通教育部内にレンジャー課程を設置するよう下命した。学校長杉田一次陸将から一任された柴田1尉は首藤2尉とともに富士山麓の青木ヶ原にコースを設定し、同年10月より、まずプロトタイプとしてのレンジャー研究課程が開始された。第一期生は第101空挺大隊からの5名を中心として計9名であった。
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