派米訓練とレンジャー研究課程とは? わかりやすく解説

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派米訓練とレンジャー研究課程

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 06:56 UTC 版)

レンジャー (陸上自衛隊)」の記事における「派米訓練とレンジャー研究課程」の解説

草創期陸上自衛隊では、教育課程のほとんどでアメリカ陸軍手本としてきた。そして1955年9月、最難関レンジャー課程習得すべく、陸上幕僚監部第五部長(後の教育訓練部)高山信武陸将補特命受けて柴田繁1尉(陸士59期)および首藤愛明2尉(陸士61期)の2名が渡米した両名フォート・ベニング陸軍歩兵学校幹部中級コース経て1956年2月27日よりレンジャー課程 (Ranger School) に入校した。陸自乏し外貨から派遣予算捻出したために、レンジャー課程求められる厳格な被服散髪規定を守るために苦労伴ったが、両名とも首尾よく課程修了した当時レンジャー課程平均年齢22歳であったのに対し柴田1尉は30歳首藤2尉は29歳最年長であったにも関わらず過酷な課程完遂したことから、卒業式では最前列の席が与えられ学校長祝辞で特に言及し、「日本帰った立派なレンジャー育ててほしい」と激励した1956年5月レンジャー徽章与えられ帰国した柴田1尉・首藤2尉に対し高山陸将補は、陸上自衛隊富士学校通教部内レンジャー課程設置するよう下命した。学校長杉田一次陸将から一任され柴田1尉は首藤2尉とともに富士山麓青木ヶ原コース設定し同年10月より、まずプロトタイプとしてのレンジャー研究課程開始された。第一期生は第101空挺大隊からの5名を中心として計9名であった

※この「派米訓練とレンジャー研究課程」の解説は、「レンジャー (陸上自衛隊)」の解説の一部です。
「派米訓練とレンジャー研究課程」を含む「レンジャー (陸上自衛隊)」の記事については、「レンジャー (陸上自衛隊)」の概要を参照ください。

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