派生話とは? わかりやすく解説

派生話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 15:55 UTC 版)

大森盛長」の記事における「派生話」の解説

『太平記』岩波本 巻二十三 大彦七事『太平記』神田本 巻二十楠正成死霊乞剣事 この二本基本となって様々な怪異話が派生してくるが、入手も容易であるので詳細省き、以下では容易に手に入れがたい地方説話の中の大森彦七取り上げておくことにする。 『予州大洲御替地古今集』 むかし塩売り昼寝してありしが、この渕より大蛇出て売りを呑まんとしてねらひ寄る。籠の内に塩の価に取りたる剣あり、自ら抜け出て彼の追ふ大森彦七通りかかり、その霊剣たることを知り家来商人を起こさせ右剣を所望し、持刀となす。故に塩売渕と言ひ伝ふ。 同上 矢取り川の岸に大森彦七通りかかると「美麗なる女、地蔵堂の辺より出て川を渡し給れと云ふにつき、背に負ひ川中に至ると大磐石を負たる如く下見れば鬼の形にうつる。即時に彦七をつかみ虚空にのぼる。家来驚き送れば逆に見えしとて坂面山と言ふ鬼形にうつりしを名づけ鏡川という」 『大洲旧記下麻生村 昔仏来光しとて来迎山と云有。又釈迦面山と云有。是を逆面山と云。大森彦七化生の物につかまれ虚空引き上げられ逆様に落る見てさかつら山と云と雖、来迎山有ば釈迦つら山を誤りたる成るべし。 同上 麻生村住みの窪と云有。大森彦七屋敷にて、化生物出しより号たりと、左に記事此所の由、已前より其名高し、俗誤りが窪と云非也。小かね坂と云有、美女出しと云所。鏡川と云は、矢取川の事也。美女鬼になりしをにうつる故、見附たりと也。彦七大庄を二三ケ所給ふと云、砥部庄松前辺也。舞台松前金蓮寺也と云。 同上 三津野村 石上山光明寺、此寺般若経大森怪異の時真読せし般若経巻なるよし。 同上 上唐川 稲荷五社大明神白滝千里云々(千里大森彦七居城のあったところ)彦七塩売りより求めた太刀弥其功有て化生の物をつき留などしたる後、此宮に納、左の殿に祭ると宝剣殿と云。応永年中千里の城に三足の化生出、神主倉持太夫神前鳴弦執行化生退散すと云。 同上 万年村 大森土州奥山猟師同上 五本松村 庄屋所より二町程隔たり大森彦七花畑有。昔は虎の尾有。四十年程後に枯れたりと、已前怪異を様々語る。 同上 大平村 峯と云山に夜毎に火もゆる。世に云金の炎也。千里城落たる時、金の茶臼埋めたりと云。 『予陽盛衰記大森彦七長久米郡の住人。この盛長と云う土佐の奥に有り日夜山林を家とし鹿猿兎を猟て業とし飽くまで剛強にして不敵なり。 『伊予温故録』金蓮寺[要曖昧さ回避] 堂前大石あり、大森彦七盛長が印しの石なり 同上 谷上宝珠寺 文政年中火災罹り悉く消失す其の中大彦七納むる所の甲冑一領を存す。 同上 千里城、城主神社 千里城、川登村千里にあり、大森彦七長居る。後ち平岡民部之丞居る。城山の南下に盛長の建てた茶屋あり。 城主神社川登村千里有り大森彦七以下類族の霊を祭る。大森の子代々千里城主たりしが、荏原平岡氏に攻められ文明十一十二月二十九日落城の時此神社創建すと云ふ。 『伊予古蹟志』 五本松有館墟、日彦七宮、古大森盛長家居遺構也。

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