下麻生町
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| しもあそうちょう 下麻生町 |
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|---|---|
| 廃止日 | 1956年9月30日 |
| 廃止理由 | 分割編入 下麻生町(一部) → 七宗村 下麻生町(一部) → 川辺町 |
| 現在の自治体 | 川辺町・七宗町 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 | |
| 地方 | 中部地方、東海地方 |
| 都道府県 | 岐阜県 |
| 郡 | 加茂郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 面積 | 9.14 km2. |
| 総人口 | 1,899人 (1956年) |
| 隣接自治体 | 加茂郡七宗村、川辺町、 美濃加茂市 |
| 下麻生町役場 | |
| 所在地 | 岐阜県加茂郡下麻生町 |
| 座標 | 北緯35度31分13秒 東経137度05分35秒 / 北緯35.52028度 東経137.09297度座標: 北緯35度31分13秒 東経137度05分35秒 / 北緯35.52028度 東経137.09297度 |
| ウィキプロジェクト | |
下麻生町(しもあそうちょう)は、かつて岐阜県加茂郡にあった町である。
飛騨川流域の町であり、分割編入され、現在の加茂郡川辺町北部、七宗町南部に該当する。
歴史
江戸時代、この地域は美濃国加茂郡に属し、尾張藩領であった。切り出した木材は1本単位で飛騨川を流し、下麻生村の下麻生湊で筏を組んで下流に流したという。下麻生村は飛騨川の重要な湊であった。
- 1893年(明治26年)4月27日 - 麻川村が分割され、上川辺村と下麻生村(ともに2代)となる。
- 1896年(明治29年)11月13日 - 下麻生村は町制施行し、下麻生町となる。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 下麻生町は分割され、北部の中麻生地区は加茂郡七宗村に、南部の下麻生地区は加茂郡川辺町に編入される。
学校
- 下麻生町立下麻生小学校(1977年に統合され、現川辺町立川辺北小学校)
- 下麻生町立下麻生中学校(1962年廃校)
交通
その他
かつての下麻生町役場の建物(1922年完成・木造)は移築され、川辺町内に公民館として現存している。
関連項目
- 下麻生村のページへのリンク