河川侵食作用説への疑問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 00:06 UTC 版)
「岩屋寺の切開」の記事における「河川侵食作用説への疑問」の解説
国の天然記念物に指定された昭和初期の当時、この地形の成因は河川の浸食によるものと考えられており、1934年(昭和9年)に島根県が編集作成した『島根縣下指定史蹟名勝天然記念物』、および1938年(昭和13年)の『島根縣指定史蹟名勝天然記念物並国宝概説』では次のように解説されている。 出雲斐伊川の上流なる横田盆地の東北隅岩屋寺山(標高六百米)の中腹岩屋寺の境内に粗粒の黒雲母花崗岩より成る一小峡谷あり、峡谷の長さは僅かに七十米に過ぎざるも、兩岸は高さ二十米乃至十米の直立せる岸壁を成し、左右の岸壁略平行して北西より東南に向て一直線に走り、兩岸の幅甚だ狭くして上部に於て一・五米、中部に於て三米、下部に於て三・五米を算するのみ。蓋し該峡谷は花崗岩の直立節理に水蝕の加はりて生じたる極幼年性のU字谷にして其の幅が上部に於て狭く、下部に於て却て廣きが如き稀に見る所のものなり。 「岩屋寺の切開」『島根縣指定史蹟名勝天然記念物並国宝概説』より。 1995年(平成7年)に発行された『日本の天然記念物』(講談社)における「岩屋寺の切開」の解説内容も、「…侵食地形としては比較的初期のものであろう。侵食が進めば…島根県の鬼舌振のような地形に変わっていくと考えられる…」と、上記の河川による浸食説を踏襲した内容であるが、これらの成因説に疑問を持った地質学者の井上多津雄は次の2つの疑問点を指摘し、通常イメージするような一般的な河川の浸食作用による成因説は「ありえない」とした。 切開から山頂の分水界までの距離は僅か200メートルである。 流水は極めて僅かで、しかも峡谷底部ではほとんど伏流しており、谷底の礫は角礫であって円礫ではない。 引き合いに出された鬼舌振は、同じ奥出雲町にある国の天然記念物に指定された河食による峡谷であるが、水量の豊富な大馬木川(斐伊川の大きな支流の一つ)の本流上に形成された峡谷であって、その上流には多数の支流が注ぎ込む流路が10数キロ続いており、岩屋寺の切開の位置する周辺の地形とは侵食要因となる条件がまったく異なる。流域面積が極少で水流の乏しい切開のような峡谷地形が、川の流水による侵食作用でできたとは考え難いが、国の天然記念物に指定された1932年(昭和7年)以降、学術的な調査はほとんど行われていなかった。特異な峡谷地形である切開はどのような成因でできたのだろうか、成因を河川による浸食、すなわち河食によるものとする既存の形成説への疑問を解消するため、井上は2005年(平成17年)に詳細な現地調査を行った。
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