沖縄三線の型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 04:49 UTC 版)
沖縄三線は棹の形状から7種類の型(かた)に分類される。それぞれの型の元となった三線が存在し、名称は元となった三線の製作者の名を冠している。現在製作されている三線はすべてそれらの複製である。かつては形状の差異についての認識は曖昧だったが、琉球三線楽器保存育成会らが定義を整理した。そのため以前は、例えば天は真壁型で鳩胸は与那城型といった折衷型の三線も多く出回っていた。近年では又吉真栄による「マテーシ千鳥」や「マテーシ鶴亀」のように、新しい型の棹を製作する試みもなされている。 南風原型(フェーバラー) 最も古い型であり、名工「南風原」の作と伝えられている。棹は細身で天(チラ)は曲がりが少なく扁平。野坂(スンウリ)は大きく曲がり、野丸(ティアタイ)は半円である。野丸と鳩胸(ウトゥチカラ)の区別がほとんどできない。高音域の音であっても澄んだ音がでるように野(トゥーイ)は下がっている。南風原型はさらに拝領南風原型(ハイリョウフェーバラー)・翁長親雲上型(オナガペーチン)に分けられる。 知念大工型(チニンデーク) 初代三線主取であった知念大工の作とされる。棹は太く、天の曲がりは大きい。天の部分と野丸の下部から鳩胸にかけて痩せ細った馬の背のように中央が盛り上がっているのが大きな特徴。天も南風原型と比べると広い。野坂は短く、野丸は丸みを帯びている。 久場春殿型(クバシュンデン) 久場春殿の作とされている。沖縄三線では最も大型で、天の曲がりが小さく薄い。上部から下方へ次第に太くなり、野丸と鳩胸の区切りがほとんど出来ない。胴内の軸には三角形の穴があり、一段の段が付けられている。両側には碁盤のへそのような溝がある。芯の付け根に段が刻まれている。かつて辻界隈の遊郭では護身用の武具(棍)として用いられたという逸話がある。 久葉の骨型(クバヌフニー) 同じく久場春殿の作とされる。横から見ると蒲葵の骨に似ていることからその名がついた。箏と匹敵する美音をもつとされる。久場春殿とは対照的に、三線の中で棹が最も細い。野丸と鳩胸の区切りはほとんどない。 真壁型(マカビー) 名工「真壁里之子」の作。均衡がとれた美しさから真壁型が最も多く製作され、かつ人気も高い。開鐘と呼ばれる三線は全てこの型。他の名工達と異なり、王国の官職にあった真壁の棹に対する情熱は相当なもので、完成した棹であっても納得のいかないものは薪として火にくべたという伝承がある。棹は細身で天は中絃から曲がり、糸蔵(チルマダイ)が短い。宇根親雲上型(ウーニペーチン)もこの型に属する。今市販されている三線の多くは廉価版でもこの形をベースにしている。 平仲知念型(ヒラナカチニン) 三線主取であった知念の弟子、平仲の作。棹は細めだが、鳩胸に丸みがない。天は大きく湾曲していて、中央は少し盛り上がって丸みを帯びている。知念大工の系統と見る人もいるが、現在の動向では「平仲知念型を型として再検討する必要がある」という風潮のようである。 与那城型(ユナー) 真壁型と同時代の与那城の作とされている。琉球古典音楽の演奏家はこの型を好む傾向にある。この型は更に小与那型(クーユナー)、江戸与那型(エドユナー)、佐久川与那型(サクェカーユナー)、鴨口与那型(カモグチユナー)に分かれる。真壁型よりも棹厚く、月の輪と棹の野面とが直角をなしているのが大きな特徴。天は糸蔵の先から曲がり、範穴はやや下方に開けられている。糸蔵は長く、鳩胸も大きめ。特に江戸与那型の芯には大小3つの穴が開けられている。後世に自分よりも優れた名工が現れたとき、修正の余地を与える意味で厚くしたと言われている。面取与那(メントゥイユナー)とも呼ばれる「与那城の遺作」とも呼ばれた「通常の与那の野面が天の曲がり付近から野坂に掛けて平均的に面が取られ、範穴も真壁型の様に取られたかのような名器」も存在したとの伝承も存在する。「修正の余地の意味」の異説として「三線大工の師でも有った名工真壁に対して、与那城が{間違った棹作りをした時にはいつでも師真壁に面を取り去って下さい}との謙虚な心積りで居たから」と言う話も伝わっている。
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